「スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け」が残念だった点
「スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け」は、非常に面白くて、何度も感動して泣いてしまいました。
それは前述した大きな愛を感じたことが理由かもしれません。
鑑賞後は大きなパワーをもらったように感じ、疲れが一気に吹き飛ぶのがわかりました。
しかし「スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け」はちょっと惜しかったところもあるのかもしれません。
それはシスが弱かったことです。
パルパティーンは非常に強い力を見せます。
「え、これは勝てないんじゃない?」と感じてしまうほど偉大な力です。
しかし「スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け」のパルパティーンは、悪に染まりすぎていました。
私はパルパティーンがもっと表と裏を利用し巧みにレイの心を揺さぶってもよかったのではないかと思いました。
パルパティーンがレイを悪に導くために使った方法は、憎しみの増幅と圧倒的な強さによる支配でした。
レイはこの憎しみによる増幅をレイアとルークの愛によって打ち負かします。
レイを捨てた両親は、「パルパティーンから守ってくれたんだ」と突き返したのです。
そのおかげで、レイはこうして生きることができたのです。
圧倒的な強さは、歴代のジェダイのフォースによって打ち負かされました。
しかしもしもパルパティーンにもっと愛があれば、レイは暗黒面に落ちてしまっていたのかもしれないと思います。
私は「スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け」を見ていて、もしも傷ついた心を持った人が、まやかしにせよ大きな愛を持ってでダークサイドに誘導したら、寝返ってしまう人がいるのではないかと思ったのです。
もしもパルパティーンが本当の愛を持ってレイを迎えていたら、レイはもしかするとダークサイドに落ちていた可能性があるのです。
パルパティーンが自分が祖父だという立場を利用し、ルークやレイと同じように愛を示していたら、レイを簡単に騙すことができたのではないでしょうか。
そうすることで、物語はより複雑になっていたかもしれません。
ですので、この部分においては、少し残念だったように思います。
ドラゴンボールみたい
レイとカイロ・レンのフォースを吸い取り、復活したパルパティーンはどうしようもないくらいの巨大なパワーを有していました。
宇宙に飛び交うレジスタンスの船をその両手から放つフォースのみで、コントロールしてしまうほどのパワーです。
しかしレイは歴代のジェダイの騎士たちのフォースを借り、パルパティーンをいとも簡単にやっつけてしまいます。
なんだかドラゴンボールの悟飯が悟空の力を借りてセルを倒すようなシーンを思い出してしまいます。
それはなんだか陳腐で、まるで日本の戦隊モノを見ているような解決策でした。
スター・ウォーズの最後にはもっと手の込んだ素晴らしい倒し方が観たかったと思ってしまいましたが、それはちょっと高望みをしすぎたのかも入れません。
シスから見たらジェダイが悪
アメリカの映画で残念なのが、正義が悪を残酷なまでに打ち負かしてしまうことです。
最後のファイナル・オーダー達の負けっぷりは凄まじかったです。
ハリウッドの映画は悪を簡単に殺してしまいます。
個人的には「ウォーキング・デッド」のように悪者を生かそうか殺そうか悩んでいる人達の方が素敵で、人間らしいのではないかと思いました。
とはいえ、パルパティーンを生かすことは非常に難しかったのではないかと思います。
でもファイナル・オーダーの役員達を爆発で全て殺してしまうのはちょっと単純すぎるのではないかとも思います。
「スター・ウォーズ」では善と悪のバランスが大事だと言っていました。
しかしシスを木っ端微塵にしたら、善のバランスの方が大きくなり、また憎しみを生むのではないかと思いました。
この点において、「スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け」は残念だったのかもしれません。
いずれにせよ、「スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け」は非常に満足した映画でした。
おそらく子どもでも楽しめる内容にしたかったのではないでしょうか。
私は「スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け」をもう一度観たいと思います。
なにせ「スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け」を観ると非常に大きなフォースをもらえるような気がするのです。
観た後に途轍もないパワーを感じるようなそんな映画でした。
私はこれからも「スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け」を観続けていきたいと思います。
まだ観ていない人はぜひ劇場でご覧下さい。