親が素晴らしい
偉人の親は一見すると手に余る子どもに対して、とても心の大きな対応をしていることがわかりました。
一番身近にいる親という家族の存在が、その子どもに多大な影響を与えるということです。
ビル・ゲイツ
ビル・ゲイツの親は本当はコンピュータに関わる仕事など価値がないと思っていました。
まだインターネットもない時代です。
パソコンが世の中にこれほど、普及するなど誰も想像していなかったのです。
周りの人々もコンピュータでは食えないと、ビルをからかう人ばかりでした。
しかしビルがハーバード大学を中退する際、反対していた父親は、ビルがそんなに考えているのであればと言って、退学を承諾してくれます。
その後ビルが大成したのち、父親は慈善団体を立ち上げています。
最終的にビル・ゲイツ本人の慈善団体と合体するのですが、ビル・ゲイツが慈善活動に従事しているのは父親の影響もあるのかもしれません。
エジソン
エジソンは前述の通り、小学校をクビになっています。
小学校教師は、エジソンを問題児だと考えていたのです。
しかしエジソンは自分がバカではないと自信を持っていました。
エジソンの母親はエジソンの類まれな知性を評価しており、自ら教鞭を取ることにしたのです。
そして小学校より高度な教育を提供することで、エジソンは大発明家になったのです。
もしもエジソンが小学校をクビになり、母親がきつく叱りつけていたら、エジソンは自分に能力がないと自信を無くしていたかもしれません。
野口英世
野口英世は幼い時に左手を大火傷しており、手が開かなくなりました。
(のちに手術により手が開くようになっています。)
野口英世は手が不自由なことが原因で学校でいじめられてしまいます。
学校に行かなくなった野口英世に、母親のシカは「勉強には手は関係ない。勉強は貧しさからお前を救ってくれる」と開かなくなった手を握りながら励ましてくれるのです。
それから野口英世は暗くなったら明かりを頼りに、同級生の家に伺い勉強を薄量になりました。
家事を手伝いながらも本を読み漁るのです。
ライト兄弟
ライト兄弟の母親は2人に創造力を与えました。
母親も彼らを手伝い、創意工夫し、誰よりも速いソリを完成します。
乗り方にもこだわり、一番風の抵抗を受けにくい得意な乗り方で競争に勝つのです。
その後ライト兄弟は様々な物を自作するようになります。
凧あげが流行った際は、皆市販の凧で遊ぶ中、ライト兄弟は自身で自作し、誰よりも高く飛ぶ凧を作成します。
その凧を使い大会で優勝するのです。
その凧をみて、近所の子どもたちが凧を欲しがるのです。
ライト兄弟の作る凧は市販の凧より売れてしまうことになります。
他にも印刷機を兄弟で作成し、プロが視察に来るほどになりました。
ライト兄弟の創造力は母親のソリの材料の提供から始まったのではないでしょうか。
手塚治虫
手塚治虫の親は手塚治虫に様々なことを経験させました。
宝塚に住んでいた手塚治虫の母親は、宝塚歌劇に連れて行ったり、ピアノを習わせたり、様々な刺激を与えたのです。
父親は漫画を与え映写機で映画を見せました。
そんな環境で育った手塚治虫は、様々な物に興味を抱き、感性を磨いていったのではないでしょうか。
手塚治虫の親の教育がなければ、彼は漫画を描く才能を身につけていなかったかもしれません。
没頭する
偉人たちに共通することは読書以外に何かに没頭することです。
エジソン
エジソンは列車の中で新聞を売る仕事をしながら、車両の一室で実験を行います。
母親が問題を起こしても止めなかったせいで、エジソンは実験に没頭するようになるのです。
一時は電信の仕事に従事するようになりますが、自分がやりたいのは実験だと考えており、発明家への道を歩み始めるのです。
エジソンの発明は幼き日の実験の日々から生まれているのではないでしょうか。
ビル・ゲイツ
ビル・ゲイツは読書も好きでしたが、コンピュータを触るのが非常に好きでした。
学校に少数しかないコンピュータを触り倒していました。
当時のコンピュータは使用するにも非常に難しく、多くの生徒は興味を示しませんでしたが、ビルの友人・ケント(クライミングの事故で亡くなる)と先輩のポール・アレン(共同創業者)と一緒にコンピュータの知識を深めていきます。
その後学校でコンピュータがさわれなくなった後は、Cキューブドという会社でバイトをしながら、コンピュータを触ることになります。
その後はコンピュータを壊してしまいビルのみクビになってしまうのですが、ビルはコンピュータの欠陥を誰よりも多く見つけてしまいます。
問題を起こしたビルは親からコンピュータを触ることを禁止されますが、その後もコンピュータに関係する本を読んで、研究に励むのです。
その後コンピュータへの衝動を抑えきれず、ポールの誘いで、自作のプログラムを作成し始めます。
そのプログラムが評判にもなるのです。
手塚治虫
手塚治虫は読書についてはわかりませんが、漫画と虫が非常に好きでした。
本名は手塚治ですが、虫が好きで、オサムシという虫の名前が自分のなまえににていることから、ペンネームを手塚治虫にしました。
幼い時医師に命を救ってもらったことがきっかけで、医者を目指し医学部へ入学しました。
漫画を描くのは小学生から行い、周りの友人、先生からもその才能を認められていました。
戦争中も漫画を描き、工員たちを楽しませていたのです。
手塚治虫は大学在学中に四コマ漫画の連載が決まり、授業中も漫画を描いていました。
それがきっかけで、大学卒業後は医師ではなく、漫画家を目指すことになります。
とはいえ、医師を志したことは決して無駄ではありませんでした。
手塚治虫は漫画家デビュー後、「ジャングル大帝」や「鉄腕アトム」などヒットを連発しましたが、競合が勢いを増し、手塚作品は落ち目を迎えます。
その時出版したのが、ダークヒーロー「ブラック・ジャック」でした。
「ブラック・ジャック」は医者になることを志した、手塚治虫にしか描けない物語だったのです。
そのヒット後も「三つ目がとおる」などのヒット作を連発しました。
何事にも没頭することが、偉人の特徴なのです。