アーサーはどうすればよかったのか?
アーサーがジョーカーになるのは必然だったんでしょうか。
いえ、アーサーはいつでも善人になることができました。
アーサーが映画の冒頭で受けた苦しみは仕事で必要だった商売道具を青年に盗まれたことです。
もちろんこれでもアーサーは悪人になりませんでした。
しかしアーサーは商売道具であるセールの看板を盗まれたことを自分の責任だと言われがっかりします。
その後、アーサーは友人から銃を渡され、仕事で銃を使用したネタを披露し、またもや問題を起こしてしまいます。
そのせいでまた上司から怒られてしまいます。
ここがまずおかしいポイントです。
普通は、病院で子どもの前で銃を見せたりしません。
アーサーはこの時点で悪人でした。
人はどんなに窮地に立たされても、悪いことはしません。
しかしアーサーは違ったんです。
アーサーが取るべき行動はなんだったんでしょうか。
そこにアーサーの弱さがありました。
たとえ銃を受け取っていたとしても、その銃を持ち出してはいけません。
これこそがアーサーの弱さだったんです。
その後アーサーは仕事をクビになります。
ですが、新しい仕事を探しました。
そしてマレー・フランクリンの番組に呼ばれたんです。
これはとても素晴らしいことです。
しかしアーサーは自分をバカにしたマレーを憎みました。
本当ならアーサーはこの番組を機に、スターになることもできました。
しかしアーサーはそれを自ら捨てたんです。
母親が幼い自分を騙してたと気づいても、母親に感謝し看病し続ければ母親も自分も幸せに暮らせたかもしれません。
女性をいじめている証券マンに殴られてしまったとしても耐え抜けば、何も起きなかったんです。
何が起きてもプラスに考えていれば、善になれるんです。
アーサーの環境は決して特別なものではありません。
誰の人生だって残酷なものです。
辛いことはいくらでもあります。
しかしその時々で自分がどう考えるかで、人生は大きく変わるんです。
『ジョーカー』はそんな人生の歩み方を伝えたかったんではないでしょうか。
善人とは何か。
悪人とは何なのか?
ブルース・ウェインはヒーローになります。
もちろんバットマンは悪人からすれば、悪人に見えるんじゃないでしょうか。
たとえ一方向から見たらヒーローに見えるかもしれませんが、片方から見たら悪人になることがあります。
しかしそれも見方次第で悪にも善にもなるんです。
大事なことは捉え方です。
どんなものでもプラスに平和に受け取れば、人生いや世界は変わっていきます。
『ジョーカー』はそんなことを伝えたかったんではないでしょうか。