それから俺は何度も葛藤に襲われた。
智樹が嘘をついてることを言おうか言わないか。
東郷のことなど関係ない。
だから言ってしまえばいいんだ。
パンドラの箱を開けてしまえばいいんだ。
でもこの情報をくれたのは東郷だ。
東郷は俺がそんなことをしないことを見越して教えてくれたんだ。
大学卒業から10年経った。
俺やみんなは変わったんだ。
俺は成長した。
それで東郷は信じてくれたんだ。
考えていたところで、電話が鳴った。
智樹からだったこのタイミングで智樹から連絡があるということは、神様が言えと言ってるのかと思った。
「もしもし」
「おお、正志なかなか連絡できなくて悪かったな」
「ああ、いやいや忙しいんだろう」
「どうしたの?」
「あ、いやこの前は何も話せなかったからさ」
「そうだよね」
「どうなんだ?最近は」
「ああ、それなりに」
「まだ音楽の仕事してるのか?」
「ああ、それはもう辞めたんだ」
「そうなんだ」
俺は大学を辞めてすぐに音楽を作る会社に就職した。
しかし一向に音楽を作ることができず、やりたいことができない日々を過ごしていた。
それに加え激務だったせいで、俺は体を壊したしまったのだ。
「音楽業界はきついっていうからな」
「あーうん」
「そうか」
「智樹はどうなの?」
「俺は普通にサラリーマンをやってるよ」
「そうなんだ」
言わないのか、親戚が経営してる会社で働いてること。
「俺は派遣なんだ。だから安定してる仕事に就きたいと思ってるんだけど、なかなか」
あえて仕事の話を引き伸ばしみようとした。
「そうなんだ」
「うん」
「大学時代の人で誰か会ってる人はいるの?」
「ん?」
「あー俺はいないかな。もう全然交流がないよ」
「そうなんだ」
「うん」
「じゃあまた今度どこかで会おうよ」
「うん、わかった」
「じゃあまた」
そう言って電話は切れてしまった。
本当は言いたかった。充のことも聞きたかったし。
みんなに嘘をついたことも言いたかった。
親戚の会社で働いていることについても。
でもそれを知ってるということは東郷に聞いたことになる。
SNSで投稿
俺はもうみんなに言うのは辞めようと決めた。
その代わりSNSで匿名で智樹に裏切られたことを書くことにした。
もちろん智樹の名前なんて使わない。
こんなことがあったと文字にするだけだ。
投稿すると以外に反響が大きくて、いろんな人にシェアされてしまった。
ちょっとだけバズってしまったんだ。
みんな俺の不幸をバカにしてるのかもしれない。
数日経ってから、東郷から連絡がきた。
「あーもしもしどうしたの?」
「お前智樹になんか言ったか?」
「え、智樹に?言ってないよ」
「智樹に疑われたんだけど」
「ん?どういうこと?」
「俺は何も言ってないけど」
「おい、嘘つくなよ。俺は誰にも智樹が嘘をついてることなんて言ってないんだぞ。なのになんで智樹が今更あんな話をするんだよ。お前が言わないとこういうことにならないんだよ」
「どういうこと?俺は言ってないって」
「嘘ついてんじゃねえよ。もういい。お前は本当に嘘つきだったんだな」
「え?おいちょっと待てって」
電話は切れてしまった。
俺は本当に智樹に何も言ってなかった。
なんで智樹は知ってるんだ?
盗聴されてる?
そんなわけない。
俺はもう一度連絡して、東郷の誤解を解こうとした。
でも東郷は電話に出てくれなかった。
数日経ったが東郷からは連絡が来ない。
俺はまた1人になってしまった。
東郷に誤解されて1人になってしまった。
前田と太一の反応
俺はダメ元で前田に連絡をしてみた。
東郷と誤解されてしまったことで、やけになっていたのかもしれない。
東郷に愛想をつかされたんだ。
東郷との関係を修復することはできないかもしれない。
でも東郷は誤解しているだけなんだ。
だけどもう東郷は俺のことを信じていない。
東郷とはそれから何ヶ月も連絡が取れなかった。
前田にLINEすると、週末に会う約束ができた。
今までずっと無視されてたのにどういう心境の変化なんだ。
俺は前田に智樹になんて言われたのか聞いてみた。
「あああの時、俺は智樹に正志がお金を盗むかもしれないって言われたんだ」
「そうか、俺はそんなことしてなんだ」
「へえそうなんだ。なんだ悪かったな俺ずっと勘違いしてたよ」
「ああ、そうなんだ。良かった、わかってくれて」
話はすんなり終わった。
前田も理解してくれたようだ。
これで関係は修復できるはずだ。
それから太一にも電話で話し、太一の誤解も解くことができた。
これで過去の誤解を解くことができると思った。
でもそれから前田と太一と連絡をすることができなくなった。
なぜかまた無視されてしまったのだ。
せっかく誤解が解けたのに、また振り出しに戻ってしまった。
というか東郷からも嫌われてしまったのだ。
俺はそれから何度か連絡をしてみたが一向に連絡が取れなかった。
どうしたらいいかわからなくなっていた。
俺はもう大学時代のことは忘れようと思った。
東郷から聞いてちょっと過去のことを思い出しただけだ。
俺の日常になんの影響もない。
忘れればいいんだ。
もともと俺には友達は1人もいない。
向井からの連絡
しばらくして向井から連絡があった。
まだ裁判は続いているのだろうか。
「もしもし」
「あー葛西さん、以前話した証人の件考えてくれましたでしょうか」
そうだ。すっかり忘れていた。
でも俺には東郷のことを裏切ることはできない。
でももう東郷との関係は決裂してしまってる。
俺が証言したところで何も変わらない。
「もう少し考えさせてください」
「そうですか。でも今週の金曜日までに連絡をくれませんでしょうか。もう裁判も終わってしまいそうで。葛西さんの証言があれば少しは神山さんの負担を減らせるかもしれないんです」
「わかりました。証言します」
「本当ですか?」
「はい」
裁判
裁判当日。
俺は証人として法廷に立った。
充はちょっと驚いた表情を見せた。
俺は出来るだけ充の顔を見ないようにしていた。
でもとてつもなく緊張していた。
「ではお伺いします。あなたは田宮さんが同性愛者であると考えているということで間違いありませんか?」
「はい、私は大学時代田宮に好意を抱いていました」
傍聴者がざわつき始めた。
傍聴席には智樹の顔もあった。
俺が証人につくことを予め聞いていたのだろう。
「私と田宮は仲の良い関係でした。もちろん自分が同性愛者であることを打ち明けることができませんでした。私は友達として田宮に接していました。ある日私は田宮と会うことができなくなりました。私は田宮に自分が同性愛者であることを悟られたんだと思っていました。だから避けられたんだと感じていたんです。しかし親しい友人Aから先日こう言われました。私が田宮と会えなくなったのは冬本智樹のせいであると」
傍聴席がまたざわつき始めた。
智樹の表情は変わらない。
「冬本はなぜか私が田宮と親しくしているのを嫌がっているようなことをAに言ったそうです。別の友人には私が人からお金を盗むようなやつだからもう遊ばない方がいいと、そう告げ口をしたそうです。私は生まれてこの方人から物を盗った覚えはありません。大学時代もあるばいとをしていましたので、お金に困ったことはなかったんです」
「わかりました」
向井が俺の前に出てきた。
「冬本さんはどうしてあなたにもう田宮さんと遊ばないように友人を説得したんだと思いますか?」
「冬本は田宮のことを好きだったんだと思います」
傍聴席がまたざわつき始めた。
「親しい友人Aは冬本と田宮が部屋で抱き合っているのを見たと私に教えてくれました。Aはその時にわかったと言います。冬本は田宮のことが好きだから私を避けたかったんだと」
「田宮幼少期からお金に困っていたそうです。だから私が金を盗るような人間だと伝えることで田宮から私を避けようとしたのではないでしょうか」
「わかりました。以上です」
「それでは反対尋問を始めてください」
充の弁護士が立ち上がる。
「葛西さんは大学時代からよくお金を盗む人だと噂になっていたそうですね。どうでしょうか?」
「いえ、それは全くの嘘です。私は人からお金を盗んだことはありません」
「ですが、大学時代の友人Aさんは葛西さんにお金を盗まれたことがあるとおっしゃっていましたよ」
俺の顔は赤くなった。