ルミエール〜ベーシックインカム隔離施設①

ブログ小説

そこに流れている川に乗れない人は、ただ呆然と立ち尽くし、枯れていく。
植物じゃないのに、ただそこに立ち尽くし、もがくことしかできない。

レール
普通
普通じゃない
常識
礼儀
上下関係

そういうのがダメだと言われたのはもう10年前で、それから好きなことをしても生きていけるようになった。

Youtube、ブログ、Twitter、TikTok。

たとえレールから外れてしまっても、好きなことを配信すれば、生きていけるレールができた。

しかしそれは新たな問題を引き起こした。

SNSの投稿により傷ついた芸能人の死。

SNSを利用し、元気に見えた芸能人の突然の死。

SNSの利用方法を巡り様々な問題が露呈し始めた。

さらに、たとえ新しいレールができたとしても、そこにも乗れない人たちもいた。

彼らはどこにも乗れず、またアイデンティティに自信を持てなくなっていた。

そんな世界で私たちはやっぱり不安と戦っていた。

そんなある日、水面下で少しずつ新たな変化が起き始めていた。

30代で財を築き、莫大なお金を手にした若きエリートは、その金を投資しさらに資金を膨らませていった。

その人物は40代を境に、ビジネス界から引退し、新たな施設を作っていた。

そこは1日3時間働けば、あとは好きなことができる施設だった。

住民は家賃も食費も光熱費も税金も気にせず、ただ3時間働くだけでその施設に滞在できる権利を有することを許された。

まさにそこは夢のような人生の最後の砦となっていた。

現在その施設には1,000人を超える入居者が住んでいた。

中央の庭園ではカウンセリングスタッフが、住居者のカウンセリングを行い心のケアを行なっていた。

住居者は明日の不安を全て取り除かれた状態でただ、1日3時間だけ働けば最低限の暮らしができる環境を用意されたのだ。

もちろん3時間働けば、外出だってできる。

出所したければいつでも可能で、戻ってきたければまたいつでも戻ってくることができる。

使われなくなった病院や学校の跡地を買取り、施設は随時面積を拡大していく予定となっている。

そこに住む一人の男が中庭でカウンセリングを受けている。

「こんにちは」

「こんにちは、高橋さん」

カウンセラーの老女が主人公の高橋に優しく挨拶をした。

「今日の調子はどうですか?」

高橋は工場のラインで、1つのポジションを任されていた。

「今日は順調でした」

「そうですか、それはよかったです」

「でもどうしてここへいらしたんですか?」

「いえ」

「なんでも」と言って老女の友寄は高橋の目を見た。

「なんでも話してくださ」

「ああ、はい」

「上司とちょっと問題がありまして」

「そうですか、どんな問題ですか?」

「ええ、この施設の中には途中で仕事をすっぽかして抜け出してしまう人がいます」

「ええ、そうですね。それはとてもよくあることです。人間には様々な事情がありますから」

「はい、所長はその人になんで帰るんだと聞いてしまうんです」

「はい」

「でも彼女はなんで帰るのかわかっていれば、途中で抜け出すことなんてしないんだと思います」

「ええ」

「それなのに、所長は彼女を引き止めようと努力しようとしています。まるでそれが正しいように」

「そうですか」

「はい、私は彼のその行動が間違えていると思うんです」

「それで、高橋さんはその所長に何かを言ったんですか?」

「はい、”そんなことを言わないほうがいいのではないか”と」

「そしたら?」

「所長に注意をされました。それから私への対応が酷くなり」

高橋は頭を抱え始めた。

「私はクビになるかもしれません」

「クビですか?」

「はい」

「それは大変ですね」

「大変ですねってそんな他人事みたいに」

「いえ、ああ、すみません」

「謝らないでください」高橋はますます困ったかを見せた。

「高橋さんここではクビなんてことはありません。3時間ちゃんと働けば誰にもここを追い出す権利はありませんし、ここの創設者もその方法を行うことを禁止していますよ」

「それは知っています」

「なら悩むことはありません」

「ですが、そんなことは建前ではないでしょうか」

「建前ではありません」

友寄は優しく否定した。

「もちろんここで犯罪行為を行えば、施設を退所することは免れませんが、罪を犯さない限りは必ず追い出されることなんてありません。信じてください。だから高橋さんが気にすることはありません」

高橋は俯いているが、少し気分がよくなったようだ。

「今日も綺麗に咲いていますね」

友寄は庭園に咲く花を見上げていた。

「綺麗ね」

高橋は顔をあげてその視線の先を見た。

確かに綺麗に花が咲いている。

テレビ局では連日、この大富豪が作った施設を取り上げていた。

「この施設は半年前に突如都心に現れ、近くの住民の不安を募っています。今の所、法を犯すような行為を行なっていないため法的に罰することができないようですが、果たしてこんな施設があっていんでしょうか?山南さん」

「ええ、ちょっと不思議ですよね。私たちは想像もつきません。3時間働くだけで、あとは何にもしないで自由に暮らせる場所なんて、こんな場所があったら普通に働いている人はバカみたいですよね。みんなそこへ行っちゃうんじゃないですか?だから私はちょっと言葉が悪いですけど、カルトな感じというか?そんな感じがしてしまいますよね」

「そうですよねー、しかしですね、この施設にも実はちゃんとルールがあったんですね」

「はい、この施設のルールとしては旅行費用は払わない、食べ物は食堂のみ、衣服は用意されたもののみという形で自由とは名ばかりの完全に刑務所に近いような場所になっているんですね」

「はい、この点について池内さんはどのようにお考えでしょうか」

「そうですね。旅行も行けないし、食事は食堂、衣服も自由に着れないなんて、これじゃあちょっとやりすぎですよね。私はちょっと体を壊してしまいそうですね」

「そうですよね。しかしですね、今この施設の入居者はどんどん増加しているということなんです。このグラフを見ると、1ヶ月ごとに100人のペースで入居者がふえているというんです。それによりこんな問題があります」

「えーちょっと心配です。なんか問題を起こしてしまう人がいるんじゃないかとヒヤヒヤします」

「えーちょっと怖いですよね」

施設の近隣に住む人や街頭のインタビューが流れている。

「小菅さんこのように、近隣住民や街の人はやはり不安に感じているようですね」

「はい、私も近所に住んでいたらちょっと不安だと思います。SNSでも最近話題になっていますよね」

「そうなんです、SNSでも・・・」

テレビでは、コメンテーターがさらにSNSの反応を紹介していた。

「社長、メディアの反応は相変わらず、厳しいようです」

「そうか」

施設を経営する社長は神妙な面持ちでテレビの画面を見ていた。

「まあ、始めはこんな反応となるでしょうが、何年か経てば受け入れられるかと思います。何よりこの施設はもっと前から必要だったんですから」

秘書が社長にお茶を配った。

「政府ができない部分を民間がカバーしなければ、救える命も救えないと思うんです。ここが潰れてしまうときは来ないと思いますが、そんな日が来たとすればそれはまた社会にとってもプラスになる日だと思います」

秘書はお盆を脇に抱え笑顔を見せた。

高橋は工場のラインに戻っていた。

この施設では1日3時間しか働かなくて良いわけだが、3時間以上働きたい人は働くことができる、またその場合は給与をもらうことができ、その給与で住民は好きなものを購入することができるのだ。

もちろんそのお金を利用して旅行へ行くこともできる。

高橋はこの施設の中でも8時間以上働いていたのだ。

高橋が働いていると先ほど抜けてしまった女性が戻ってきた。

「池辺さーん、困ります、途中で抜けると!」

戻ってきた池辺を見つけた、所長が大きな声で池辺に近づいていった。

「すみません」

「もう早くラインに戻ってください」

「わかりました」

高橋は池辺を心配そうに見ていた。

池辺は元アイドルとしてテレビにも出ていた有名なタレントだ。

今もSNSのフォロワーは10万人を超える人気を誇っている。

しかし1年前にファンと揉め事があり、炎上したのだ。

それからテレビに出る回数が減り、今は俗に言う干された状態となった。

普段から金遣いが荒く、一瞬にして資金は消え、今は密かにこの施設で生活をするようになった。

彼女の場合は収入は安定していたが、精神的に不安定となり、入居を選んだと言う。

彼女が入ってきたとき、住人全員に彼女がここに住むことを口外しないよう誓約書を書かされた。

口外したものは直ちに退所させられるという厳しいものだった。

彼女がここで暮らしていることは今のところ外部に漏れていないようだ。

池辺が高橋の前で作業している。

「なんですか?」

「あ、すみません」

「ちょっとジロジロ見るとやりにくいです」

「すみません」

「いいんですけど、あ、あいつなんか言ってた?」

「あいつって?」

「あいつですよ、所長の神田」

「ああ、神田さんのことw」

「ちょっと抜け出しただけでウザいんですよね」

「何も言ってないですよ」

「嘘だー」

「っほんとです」

「絶対なんか言ってると思うんだけど」

「いえw、でもなんかあったんですか?」

「ああ、マネージャーが連絡してきたんで」

「ああ、そっちですか」

「そっちって?」

「あ、いや」

「いやって何ですか?」

「いえ、なんにも」

「高橋さんってなんか全然話してくれませんよね」

高橋は少し表情を強張らせた。

「いえ、そのなんというか、池辺さんって」

高橋は顔を赤らめた。

「有名な方ですから」

「え?」

「いや、何を話せばいいかわからなくて」

「え?」

「いやだからその、すみません」

「すみませんって、何回言うんですか?ひどいな。私も普通に人間なんですけど」

「ちょっと君たち何を話してるんですか?」

所長が話しすぎている高橋たちのところへやってきた。

一度黙ったが池辺がまた話し始めた。

「ねえねえ、高橋さんちょっと終わったら話しませんか?」

「ええ?」

「いいじゃんいいじゃん、私ここで友達いなくて!」

「は?」

「いいですか?」

「いえ、困ります」

「いいじゃんいいじゃん」

「池辺さん!」

所長がまた注意をしにきてしまった。

所長に注意された後、池辺は「ということで!あと1時間で終わるんで、カフェいきましょ!」

高橋は嫌そうな顔をしたが、少し喜んでいた。