高橋と池辺はSNSを見るのをやめ、とりあえず眠ることにした。
幸い翌日は週末で働きたい人だけ働く日になっていた。
商品の注文は随時受け付けているが、週末の発送は月曜日の午後か火曜日の早朝となる。
急ぎの発送を希望の場合、注文者は項目にチェックをすることができる為、その商品は週末勤務した人が優先的に作成する。
だが、週末は皆休むことが多い為、どうしても生産が追いつかない。
そんな時は給与をアップする代わりにと、人を呼び込むことがあるのだ。
高橋は昨夜の出来事が気になり、何をするのも手付かずでいた。
普段であれば、3時間ほど週末も仕事をする高橋だが、今日は朝からスマホをチェックしていた。
なぜなら、高橋のことがSNSで話題になっているからだ。
さらになぜか自身のアカウントへのフォローがすごいペースで伸びでおり、スマホがひっきりなしに鳴っていた。
高橋は耐えられなくなり、SNSからの通知を受け付けないよう設定した。
それで通知地獄からは解放されたのもつかの間、今度はチャットアプリで知り合いからの連絡がひっきりなしにくるようになった。
全然会っていない友人から、知っているだけで一度も話していない知り合いまで、たくさん連絡がくるようになった。
まるで自分が有名人にでもなったような気分だった。
しかし高橋は別に何かすごいことをしたわけではない。
池辺とは交際をしていないし、ただ単にコンビニへ行き、酒を買い戻ってきて話していただけだ。
それなのに、とんだ勘違いでどうしてこんなに人生が変わってしまうのか。
高橋はその不思議を恨んだりもしていた。
そうこうしているうちに母親から連絡がきた。
通知画面に母親の名前が表示された時、高橋は嫌な予感がした。
母親のメッセージを見ると、その予感が的中したのがわかった。
母親は高橋が、ルミエールにいるのではないかと心配していたのだ。
それに、不倫が原因で離婚した元アイドルと交際しているなんて考え直すような文面が書かれていた。
高橋はルミエールにいることがバレたくなかったため、すぐさまルミエールにはいないことを伝えた。
さらに、池辺とはなんの関係もなく、ただ一緒にコンビニへ言っただけだと伝えたのだ。
しかし母親の勘は鋭く、高橋の言っていることを信じようとはしなかった。
高橋はこれ以上話すとどんどん悪い方向へ進みそうだったので、母親の返信を無視することにした。
そしてこのままでは、収集がつかなくなりそうだったため、高橋はスマホを部屋に置いて、現場に出ることにした。
部屋を出てもルミエールの関係者は高橋をネット上で騒がれている人物とは見なかった。
皆が高橋と池辺の存在を知っているし、付き合っているなどの関係ではないことを知っているからだろうか。
高橋はそんなルミエールの面々に感謝した。
それと同時に騒ぎになっているのは、SNS上やネット上だけのことだとわかったのだ。
現場に着くと、そこには池辺の姿があった。
池辺が休日に働いているのを見たことがない高橋は驚いた。
「やあ」
「ああ、高橋さん、あなたも休日出勤?」
「はい、なんか1人で部屋にいるのが億劫で」
「そうですか?高橋さんのアカウントもすごいことになってしまいましたね。すみません、私と関わって散々ですよね」
「いえ、そんなことはありませんよ。それに私たちは何も悪いことをしていませんし」
「はい、でも世間はそうは捉えてないよう」
「そうですよね。でもきっとすぐに治るんじゃないでしょうか?」
「そうですね。そうですけど、治るかどうかわかりません」
休日には所長がいないため、皆話しながら作業をしているようだった。
休日のこのゆるい感じは休日出勤をしている人への唯一の慰めになっている。
「あ、高橋さん今日は急ぎの発注がとても多いみたいなので、作業はたくさんありますよ」
「あれ、池辺さんって休日出勤初めてじゃないんですか?」
「初めてではないです。たまに深夜眠れない時にここに来たりしますよ。大抵1人で黙々と作業する感じです」
「そうですか」
2人は作業を始めた。
池辺は以前高橋に教えられたように、まとめられる作業はまとめるようにしていた。
それで作業スピードは上がったのだろうかと、高橋は心配していた。
「あの私、ここをやめようかと思っています」
「やめる?やめるってここをですか?」
「はい、今そう言いました」
「はい、でもなんか聞き間違えたかと思って、えやめるんですか?なんでですか?」
池辺は手を動かしながら、アクセサリーを見ている。
「なんかやっぱり私みたいな人がいると、なんか色々迷惑をかけてしまうというか」
「どうしてですか?」
「いや、高橋さんにも迷惑かけちゃいましたし。そのやっぱり私は普通の企業というかそういうところにはいてはいけないのかなって」
「そんな」
「私は元アイドルだし、フォロワーもたくさんいるし、常に監視されているんです。だから全然関係ない人にも迷惑をかけちゃうというか」
「そんなことないんじゃないですか?」
「だって、高橋さんのアカウントのフォロワーが急に増えちゃって、すごいでしょう?通知とか」
「ああ、大丈夫ですよ、もうスマホは置いてきたんで」
「ええ、でも何か特別な連絡とかあったらどうするんですか?」
「ないですよ、大丈夫。特別なことなんてありませんから、それにフォロワーが増えるのは嬉しいですよ」
そう言って高橋は笑った。
「大丈夫ですよ。落ち着いたらまた見ますから」
「そうですか?」
「それに、僕は迷惑だなんて思っていませんよ。さっきも言った通り、僕らは何も悪いことをしていませんから。むしろ変なのは騒いでる人たちじゃないですか?」
「それはそうですけど、これが今の世の中なんです」
「迷惑ですよね。なんか芸能人の人ってこんな感じなのかなって思いました。いえ、僕は全然、その一部を垣間見ただけなんでしょうけど。すごい大変ですよね。毎日ファンの人に注目されてるっていうのは」
池辺は唇をすぼめた。
「いえ。それは私たちが選んだ世界だから」
「そうですか」
「はい」
2人が話していると、現場の外が騒がしくなってきた。
「おい、大変だったぞ、施設の周りにすげえ報道陣が来てて」
高橋と池辺は顔を見合わせた。
ルミエールの門の前には多くの報道陣が集まっていた。
門の前ではスタッフが報道陣が施設に立ち入らないよう、対応にかられていた。
「ですから、池辺陽子さんの件に関してはわかりません。それにたとえ彼女がここにいたとしてもその情報をお伝えすることができません」
「ですが、昨日ここに入っていく池辺さんの姿がカメラで抑えられているんですよ!」
「ですからその写真に映る人物が本当に池辺さんなのかわかり兼ねますので」
池辺は高橋と一緒に、工場棟から門前の様子を見ていた。
「私、行く」
池辺は工場棟から隠れて門の方を見ていたが、そこから一歩踏み出した。
高橋は工場棟から出ようとする池辺の手を引いた。
「ダメです。行ったら問題になります。それにここにいることがバレてしまいます」
「いいんです」
「よくないです。池辺さん」
高橋の顔が怖くなった。高橋は力強く池辺の手を引いた。
「私がいることはいずれバレます。それに施設の人にこれ以上迷惑をかけられません」
「でも」
池辺は高橋の手を優しく振りほどいた。
「池辺さん!」
池辺は門の前に歩いて行った。
高橋はその後ろ姿に今まで感じたことのないようなオーラを感じた。
「あ、池辺陽子だ!」
報道陣が池辺の姿に気づいた。
ルミエールのスタッフも池辺の方を見た。
池辺は門の前に立った。
「私はこのルミエールという施設でお世話になっています」
池辺が話し始めると報道陣は黙り始め、マイクを池辺の口へ向けた。
「私はこのルミエールという施設でアクセサリーを作って販売しています。この施設で私は様々なことを学んでいます。辛いこともたくさんあります。SNSでの誹謗中傷のお言葉!週刊誌などで取り上げられる特集記事など!私の心はいつも苦しみに晒されていました。でも!この施設の中にいる方々、関係者の方々、一緒に働く方々はそんな私に優しく接してくださいました。どうか私たちの仲間にこれ以上迷惑をかけないでください」
池辺のコメントは日本中で生放送されていた。
SNSでは池辺がルミエールにいるのではないかということで、連日注目されていた為だ。
人々は池辺のコメントを食い入るように見ていた。
児童施設でいる子どもたち、介護施設にいる老人、週末働くサラリーマン、障害者施設にいる職員たち、家族と一緒に過ごす人たち。
様々な人の目に池辺の顔が写っていた。
「私は長らく世間から離れていました。その後体と心を壊し、この施設に入居することになりました。ここで得た経験は何物にも変えがたいものとなっています。これからも私はこの施設でお世話になりたいと思っています」
高橋は池辺が報道陣の前に立つ姿を後ろから見ていた。
「そしていつかここから旅立ち、皆様の目に立てる日を楽しみにしています」
池辺は門を開け、工場棟へ向かった。
「池辺さん、交際相手として騒がれている男性とはどのような関係でしょうか?」
池辺は報道陣の問いかけを無視して、工場棟へ入っていった。
それと同時に施設のスタッフも中に入っていく。
スタッフたちの中には目に涙を浮かべる者もいた。
「池辺さん!池辺さん!」
報道陣はまだ池辺の名前を呼び続けている。