池辺がマスコミの前で正直に状況話したことで、騒ぎが沈静化されたように見えたが、依然ルミエールへの注目は高まっていた。
さらに池辺見たさに連日多くのファンが入居を希望する事態になってしまった。
「ちょっと、困ります。順番に並んでください」
池辺に会いたいだけで、困ってもいないファンがルミエールに列をなすようになってしまっていた。
ルミエールにも一応審査があり、希望者全員を受け入れることは経営上できなかった。
「社長、池辺陽子さんの騒ぎにより連日、入居希望者が増えており、職員が大変な目にあっています。なんとか対処しなければ職員が疲弊してしまいます」
「分かりました。では、受付スタッフを1人にして、審査の窓口をネット上に設けてください。入居希望者はネット受付を行った人のみとしましょう」
「ですが、それでは本当に入居が必要な人を振り落としてしまう可能性があります」
「今は仕方がありません。まずは問題を対処しましょう」
審査はネット受付後に行うことにしたのち、一時はファンも落ち着いたが、ネットでの登録を済ませてまで入居を希望する人が増え、審査への労力がとても増えてしまった。
社長を含め経営陣はその対応に追われていた。
「池辺さん、どうしたんですか。その格好」
池辺は荷物をまとめて出て行こうとしているところに友寄が気づいた。
「あ、友寄さん。こんにちは、私今日でここを出ることにしました」
「え?どういうこと?」
「私、もう大丈夫なので、1人でやっていきます。連日ファンの方が押し寄せて、私ってこんなに人気だったんだってなんかそう思うと勇気が出てきたんです」
友寄は池辺の顔をじっと見ていた。
「そうですか。それはよかったわね。皆さんにはお別れしたんですか?」
「え?」
「高橋さんとすごく仲良くされていたんじゃないですか?」
「あ、ああ、まあ」
「いいんですか?挨拶しなくて」
「大丈夫です。高橋さんも迷惑してるんです、きっと」
「そんなことはないでしょう?」
「いえ、口には出しませんけど、きっとそうです。芸能人に絡まれて変に注目されちゃって」
高橋は池辺との恋人騒動のあと、池辺のファンからひっきりなしにメッセージが着ていた。
池辺の私生活を教えて欲しいという問い合わせや、池辺は普段どんな風に過ごしているのかなど、池辺に関する質問が鳴り止まなかったのだ。
しかしそれでも高橋の池辺への対応は変わらなかった。
普段と変わらず仕事後にお茶をし、普通に部屋に戻る生活をしていた。
「そんなこと」
「いいんです。私数週間前からもうそろそろ出て行かなきゃなと思っていたんで」
そう言って池辺は裏口へ向かった。
「ちょっと池辺さん!」
友寄は無理に引き留めることはせず、神妙な面持ちで池辺の姿を見送った。
友寄は慌てて高橋を探しに行った。
高橋は普段と変わらず工場のラインで作業をしていた。
「高橋くん」
友寄は高橋を呼び出し、池辺が出て行ったと伝えた。
「え、池辺さんが?」
「そう、出て行っちゃったわ」
「そうですか」
「もしかして高橋さんは知ってたの?」
「はい」
「え」
「池辺さん前に言ってました」
「何て?」
「出て行ったほうがいいかもって」
「でも彼女まだ1人では無理よ」
高橋は黙っている。
「でも彼女がここにいるとここにいる人に迷惑になるって」
「そんなこと?!」
友寄はため息混じりで言った。
流石の友寄も立ち往生をし、どうしたらいいかわからない様子だった。
「あの子、どうするつもしかしら。仕事もないのに」
高橋もどうすればいいかわからなかった。
数日が過ぎても池辺のファンが入居を希望するのが止む気配はなかった。
そんな情報を池辺もネットカフェで見ていた。
池辺は”よし”と言ってSNSのライブ配信を取り始めた。
「ええ、私、池辺陽子はルミエールを卒業することになりました。いえーい」
池辺のファンが池辺の配信に気づき始めた。
「私はこれから本格的に芸能活動を再開しようと思います。ですので皆さんもこれからの私の活動に期待していてくださいね!」
池辺はそう言って配信をやめた。
それでも池辺の配信はSNSで拡散された。
池辺の配信を見た高橋は複雑な顔をしていた。
池辺と過ごしたのはまだ3ヶ月ほどしか経っていなかったが、それでも池辺が嘘をついていることは表情から読み取れた。
それを感じたファンもおり、その情報がガセではないかという噂が広まっていたが、さすがにルミエールへ池辺のファンが入居を申請する波は治った。
「いやーとんでもない女でしたね」
「はい、出て行ってくれて本当によかったよ」
受付を担当していたスタッフが休憩所で話しているのを高橋が聞いている。
高橋は険しい顔で池辺のアカウントページを見ていた。
数日後ルミエールに1組の親子がやってきた。
「あのーこちらがどのような施設か見学をしたいんですが」
母親の安藤みことの後ろで18歳の息子・光が何かに撃ち抜かれたような顔で立っていた。
「こんにちは」
受付表を手に取ったスタッフは友寄とともに、個室へ母親を案内した。
「安藤さん、今日はご相談ということで」
「はい」
「息子さんをこの施設に入居させたいということですね」
「はい」
「ではどのようなご事情があるんでしょうか?」
「私」
みことはとても言いにくそうに話し始めた。
「シングルマザーであの子をずっと育ててきたのですが、数ヶ月前末期のガンを宣告されまして」
受付の職員と友寄は唾を飲み込んだ。
「あの子には大学を受けさせようと頑張って働いてきたんですが、去年あの子が受験に失敗しまして、その費用を入院費や予備校の資金に使ってしまうと、入学できなくなってしまいます」
「それに私がいなくなったあと、あの子が路頭に迷ってしまうのではないかと思いまして。私が生きているうちにあの子が苦労しない環境をと思いまして」
「そうでしたか」
「あの子大事に育て過ぎたのか、内気で友達もいなくて、私心配で」
「ええ」
「本当に色々考えたんですが、独り立ちできるまであの子がこちらでお世話になったほうがいいのではないかと思いました。本当は私が育てなければならないんですが・・・」
「ええ」
光が受付の前で魂を抜かれたように座っている。
「ですが、お子さんを信じて自立の支援を考えてみるのはいかがでしょうか?最近の青年は我々が思っている以上にたくましいかもしれません」
友寄がみことに優しく提案した。
「ええ、私もそう考えたんですが、あの子引きこもりなんです」
みことはゆっくりと話し始めた。
「中学の時にいじめられるようになって、それ以来学校に行けなくなって、ずっと家に閉じこもっていました。私は仕事で忙しくてあの子に構う時間も取れなくて、ずっと問題を解決できずにいたんです」
「そうでしたか」
「あの子、私がいなくなったらきっと何もできなくなって、1人で死んでしまうんじゃないかって」
「お母さん」
友寄が苦しそうな表情で言った。
「すみません。わかっています。私がこんなことを言ってはいけないって。でも私何にもあの子にしてあげられなくて」
そう言ってみことは自分の足を強く叩いた。
「お母様、あの、余命はあと?」
「2ヶ月もないと言われています。明日から私は入院をする予定で」
「そうでしたか」
友寄は資料をまとめた。
「わかりました。光くんをこちらで引き取ります。ですがお母様、決して諦めないでください。生きて、最後まで生きて、一緒に光くんを応援しましょう!」
みことの目からは大量の涙が流れていた。
「はい。よろしくお願い致します」
光はみことが亡くなるまで、ルミエールで契約することになった。
万が一みことが亡くなった際、光は自分の意思でその先の方向性を選択するということでみことは了承した。
友寄はみことが亡くなるまでに、必ず光くんを自立させたいと強く思った。
池辺はネットカフェで1日中SNSを見ていた。
何をすればいいのかわからなかったのだ。
そこへ高橋から連絡が入った。
”池辺さん、どこで何をしているんですか?体調は大丈夫ですか?困っていることはありませんか?”