”大丈夫ですよ。心配しないでください。とてもうまくやれています。”
池辺は高橋にそう打って送信した。
池辺はパソコンでアルバイトのページを閲覧していた。
画面を見る池辺は辛辣な表情をしている。
池辺からの返信を見た高橋は笑顔になったが、少し心配そうな顔をしていた。
”そうですか、もしよければ今度会えませんか?”
高橋はそう打って返信した。
池辺はそのメッセージを見たが、返信することはなかった。
次の日、いつも友寄がいる中庭へ高橋が向かうと、友寄の横に見慣れない高校生・光が座っていた。
高校生は友寄の話を聞いているが、何かを話す気配はなかった。
ただ友寄の話に耳を傾けるだけで、反応しているのかしていないのかわからなかった。
光が話し終わるのを待っていると、色んな人が中庭に座っているのが見えた。
1人で座っている人、誰か話している人など様々だった。
高橋の知り合いはそこには1人もいなかった。
高橋には池辺以外知り合いと呼べる人がこの施設にはいなかったのだ。
中庭は素敵な空間だった。
たくさんの樹木が植えられていて、空気も澄んでいて陽も差し込んでいて。
でもそんな素敵な場所だからこそ、1人で座っている高橋には孤独感が押し寄せてきた。
光の話が終わったのを見計らって高橋は友寄の元に歩いて行った。
「こんにちは」
「あらこんにちは、高橋くん、調子はいかが?」
「あまり」
「そうですか」
友寄は深い瞬きをした。
「どうしてですか?」
「池辺さんがいなくなって、彼女本当に外でうまくやれているのかなと心配しています」
「そうですか。そうですよね。私も心配だわ」
「友寄さんのところには池辺さんから連絡があったりしませんか?」
「いいえ、高橋くんのところには?」
「ありました」
そう言って高橋は池辺から返信があったことを伝えた。
「そうですか。これは本当なのでしょうか?」
「わかりません。今度会わないかと聞いてみたんですが、返信はありません。彼女どこにいるんでしょうか」
「わかりませんね」
「僕どうしたらいいんでしょうか。本当なら彼女はまだここにいるべきだと思いました。ここで少し休憩して環境が整ったらまた外に出ればいい」
「そうですね」
「でも彼女はなかば追い出されたように」
「ええ、でも誰も彼女を追い出そうとしたわけではないわ。彼女は自分で出て行ったのよ。彼女が自ら選択したこと」
高橋はゆっくりと頷いた。
「そうですよね」
「反応を待ちましょう。返信だって帰ってくるかもしれませんし。何かあれば連絡してくるかもしれません」
「そうですね。わかりました」
光は高校生や大学生が比較的多い、セクションに配属された。
そこでは配送品の仕分けが行われていた。
皆分けあって普通のアルバイトでは雇ってもらえなくなった人ばかりだった。
光は重度の人見知りといじめられやすい性格だった。
担当の社員が光を持ち場に案内した。
ここで、発注された商品のリストを受け取って、棚から取ってきてください。
「わ、わかりました」
光の動きはとてもおどおどしており、遅かった。
「おい、なんだよこいつ。邪魔なんだけど」
周りのスタッフが笑った。
光が商品を探していると、周りのスタッフは何個も商品を手にとって、所定の場所に持って行っていた。
「大丈夫だよ。慣れればすぐに君もあんな風にできるようになるから」
「あ、はい」
光は何度か発注書と商品棚、納入場所を行き来して、商品の場所を覚えて行った。
担当者はようやく慣れ始めた光を見届けて事務所へ戻って行った。
光が奥の棚に向かい商品を探していると、黒いマスクをしてフードを被った男が横を通って行った。
顔が見えない不気味な男は光が作業をしているのを見ている。
「お前、新人か?」
光はその声に気づいたが、無視して作業を続けた。
「おい聞いてんのかよ。お前だよ、お前」
「え、あ」
「どけよ、遅いんだよ」
「あ、すみ」
黒いマスクの男・今岡は光がもたもたしているため、肩をぶつけて無理やり自分の担当商品を取り出した。
「見せてみろ」
「え、あ」
今岡は光の発注書を手に取り、すぐさま商品を見つけ出し、それを光に渡した。
「ほら」
「あ、ありがとうございます」
「おっそいんだよ。早くしろよ!」
「あ、すみません」
「いちいち謝るな」
「あ、すみません」
「もういいよ」
そう言って今岡は別の商品を取りに向かった。
今岡の顔は一切見えなかった。
見えたのは今岡のまっすぐな目だけだった。
池辺はアルバイトの面接に来ていた。
流石にもうお金がなくなりかけていたのだ。
もう半年分の回転資金しかない。
それに早く家を探さなきゃ、安定した暮らしができない。
本当はアイドルの仕事を始めたかったが、もうそんなことは言ってられない。
なんとか定食を見つけて安定しないと、夢を追うこともできないのだ。
池辺は担当者から呼ばれた。
「池辺さん、どうぞ」
池辺は面接が行われる部屋へ入って行った。
「こんにちは」
「こんにちは」
「池辺陽子さん・・・あれ池辺陽子さん?もしかしてあの池辺さん?」
「あ、はい」
「え、ああ、え、あちょっと困るな」
「え」
「いや、有名な方じゃないですか?」
「はい」
「ちょっとそういう方は・・・」
「あ、そうですよね。わかりました」
池辺は面接を断られてしまった。
次の面接も同じような感じで全くバイト先が決まらなかった。
それでもまだ余裕はある。
池辺は自分にそう言い聞かせていた。
池辺はマスクをして駅前のベンチに座っていた。
皆自分のすべきことをするために慌ただしく行動している。
自分には今やるべきことが何もない。
やるべきことを探しているんだ。
駅前のビルにあるデジタルサイネージには、芸能人が広告塔になっている映像が映し出されている。
私もあそこにいたんだ。
それなのに今はあそこに行くこともできない。
難しい、悔しい世の中だ。
池辺はスマホに目を通した。
高橋からのメッセージが一件残っている。
高橋のメッセンジャーのアイコンを見つめる池辺。
スマホを閉じて池辺は歩き出した。
池辺からの連絡は依然届かないかったため、高橋はとても心配していた。
勤務が終わった後もずっと池辺からの返信をチェックしていた。
池辺は高橋のメッセージを既読にすらしていなかった。
もう池辺は自分のことを忘れてしまったのかと考えていた。
池辺は元アイドルで自分は一般人。
会うはずがないし、これからも会うことはない。
今まで会っていたことも本当は幻だったのかもしれません。
でも記憶の中には彼女の姿があった。
高橋は池辺と過ごした共有スベースにやってきていた。
いつものように雑談をしている人がいる。
でもそこには池辺はいなかった。
そこで池辺と話をしていたんだ。
コンビニで買ったアルコールを飲みながら、話をしていた。
そんな光景が今は思い出の中にしかない。
高橋は1人、部屋に戻って行った。
誰もいない部屋で、誰からも必要とされず、ただ呼吸をして生きて、仕事へ行きまた帰ってくる。
そうして孤独は増大するのだ。
高橋はまた池辺に送った返信を見ていた。
もうあれから3日も経っていた。
何をしているんだろう。
ただそれだけが頭の中を回っていた。
光は仕事を終えて母親・みことが入院する病院へ向かっていた。
みことは光を笑顔で迎えた。
「光、どうだった?あそこは」
光は何も言わず微笑んだ。
「ごめんね、一緒に暮らせなくなって」
光は頷いた。
みことは日に日に衰弱して行っていた。
それでも光には笑顔を振りまいていた。
「お母さんね、今日検査をうけたのよ。少しだけよくなったって」
「そう」
「もう少し良くなったら、また一緒に暮らせるかもしれないわね」
「本当?」
「ええ」
光はそれが嘘だとわかっていた。
「また一緒に過ごせたらいいね」
「そうね」
みことは優しくゆっくり笑った。
2人は楽しそうに話していた。
光がルミエールに戻ると、今岡が光の部屋の近くの椅子に座っていた。
不気味な男だ。
光はそんな風に思った。
「おい」
「え」
今岡が光を呼んだ。
「お前何やったんだ?」
「え?」
今岡が光を見ている。
「何って?」
「何をやったんだよ、なんでここに来た?」
「なんでって」
「俺もさお前が何をやったかわからねえと、おちおち寝てられないんだよね」
「何って、僕は何も」
「何も?そんなわけねえよ。何もなかったらここにこねえだろう」
光は黙っている。
ちょっと来いよ。
今岡は光を強引に連れて行った。