今岡は光を自分の部屋へ連れて行った。
「お前はなんでここに来たんだ?」
今岡は黒いフードを被り、顔にはマスクをしていた。
顔は目以外が隠され表情が汲み取れない。
光は今岡を見て強い恐怖心を感じた。
「僕はその」
「はっきり言え」
今岡はベッドの上に座っている。
「ただお母さんが・・・」
「母親?」
「はい、お母さんが・・・」
「お母さんが、なんなんだよ」
光は母親が亡くなるかもしれないことを言えずにいた。
「お母さんが、あ、あ」
「お前何かを隠してるな?」
「いや」
「言えよ」
今岡は光を殴った。
「言わないともっと痛い目にあうぞ」
光は殴られた。
久しぶりに。
学校ではよくいじめられていた。
それで学校へ行くのをやめたんだ。
「やめ」
光は逃げようとした。
また同じ目にあってしまう。
ここは学校と同じ。
逃げようとする光の手を、今岡が引いた。
「逃げれると思っているのか?」
今岡は怖がる光の目を見た。
「お前が本当のことを言うまで、やめないぞ」
「やめて」
今岡は光がそう言うのを無視して殴った。
「お母さんが、死ぬかもしれないから!」
今岡の手が止まった。
「お母さんが死ぬかもしれない?」
光はとても痛がっている。
「死ぬかもしれないって、なんだ?」
「死ぬかもしれない」
光は泣いていた。
「死ぬかもしれないんだ。死ぬかもしれないから」
それを聞いた今岡は再び光を殴った。
今度は今までよりもっと強く。
「母親が死ぬから来たのか?」
光は頷いた。
今岡は光を強く睨んだ。
少し時間が経った後、今岡が言った。
「行け」
光は痛みから動くことができなかったが、力を振り絞って今岡の部屋を出て行った。
池辺は次の日も次の日もアルバイトの面接に落ち続けた。
理由は直接聞いてはいないが、自分が池辺陽子だと気づいた瞬間に表情が変わり、あとは同じような結果になることがわかった。
何度も何度も落とされ、池辺はやっぱり自分にはアルバイトすらさせてもらえないのではないかと思い始めていた。
池辺は高橋からの連絡をチャットアプリで眺めていた。
”そうですか、もしよければ会えませんか?”
そのメッセージをずっと既読にして放置していた。
会いたい。会って話したい。
でもまた迷惑をかけてしまうかもしれない。
私は迷惑な存在なのかもしれない。
元アイドルで不倫して、離婚してSNSでファンに意見して、完全に芸能界から追放されてしまった。
もう戻ることはできない。
ようやく見つけたルミエールという施設でも自分は施設の人に迷惑をかけ、出て行く羽目になった。
どこに行っても何をしても、もうダメなのかもしれない。
スマホを見ていると、高橋から新しいメッセージが届いた。
高橋からのメッセージはすぐに既読になってしまった。
自分が高橋のメッセージを見ていることがバレてしまう。
そう思って池辺は急いでチャットアプリを閉じた。
池辺は高橋からのメッセージを確かめようともう一度アプリを開いた。
”うまくやれていますか?大丈夫ですか?”
そしてすぐにアプリを閉じた。
どうしよう。
返したい。
自分が今どういう状況なのか伝えたい。
でも、できない。
池辺は所持金がどれくらい残っているか確かめた。
まだ当分生活できる資金はある。
でもどんどん減っている。
早く仕事を見つけないと、大変なことになってしまう。
ネットカフェも利用できなくなったら、いよいよ野宿しなければならなくなる。
高橋は池辺から返信が着ないのでヤキモキしていた。
”そうですか、もしよければ会えませんか?”が既読なっている画面を高橋が見つめている。
もうメッセージは5日前のものだ。
一向に返事がない。
本当に池辺さんは外でうまくやれているのだろうか。
どうして連絡が着ないのだろうか。
忙しいのか、それとも返信なんて面倒だと思っているのか。
高橋は楽しそうに話す池辺の姿を思い出していた。
彼女は本当はどう思っているんだろう。
本当は暇つぶしだったのかもしれない。
一般人の自分なんかただの暇つぶし。
元アイドルが相手にするはずがない。
でもあの時の笑顔は時間は、なんだったんだ。
楽しかった時間。
勤務が終わったあと、毎回カフェへ行き話して、2人はいつも励まし笑いあっていた。
ほんの数ヶ月のことだったけど、本当に会って話して、一緒に過ごしていたんだ。
でも今はどこにもいない。
返事が帰ってこない。
どこにいるのかもわからない。
高橋は、どうせこのまま連絡が取れなくなってしまうのならどちらでもいいやと思い、メッセージを送ることにした。
”うまくやれていますか?大丈夫ですか?”
ただ知りたかった。
彼女がどうしているのか。
大丈夫なのか。
それだけだ。
勇気を振り絞り送信ボタンを押した。
するとすぐに既読になった。
高橋は目を疑った。
池辺は自分のチャットを開いていたのか?
どういうことなんだろうか。
でも返事が返ってこない。
高橋は池辺に電話をかけようとした。
しかしその勇気は出なかった。
もしも面倒だと思われていたら?
電話までして、切られたらどうする。
そう思うと、電話のボタンを押すことはできなかった。
池辺は次の日、アルバイトの面接に行くことができなかった。
ネットカフェで顔を隠しながら1日中スマホを見て過ごした。
断られるのが怖かったのかもしれない。
また同じことが起きるかはわからないけど、同じことが起きた時、立ち直ることができなくなるかもしれない。
そう考えると怖かった。
今はここで休むことしかできない。
何もせずただ、だらだらと過ごすことしかできない。
そうしていれば、また何かが起きるかもしれない。
そう思った。
状況が変わり、アルバイトに行けるようになるかもしれない。
あるいは新しい仕事が入ってくるかもしれない。
そう思っていた。
でもその日は何も起きなかった。
状況は変わらない。
ただただお金が減って行く時間だけが流れていた。
自分はすでに用済みなのか。
ここにいる自分はもうあまり意味がないのか。
このままいなくなっても誰も何も困らないのではないのか?
そう考えてしまう自分がいた。
明日面接に行って断られるのは面倒だ。
だとしたら、このままいなくなった方がいいのではないか。
池辺は才谷が出ているドラマを見ていた。
才谷は主演ではないが、重要な役を演じていた。
殺人事件の犯人なのか分からないが不気味で怪しい人物という役どころだった。
才谷の演技はとても際立っていた。
他の役者さんに比べるとうまいとは言えないが、画面に写っていても違和感のない演技をしていた。
自分と同じステージに立っていた才谷がテレビのドラマに出ている。
でも今の自分はネットカフェにいて、家もなく仕事もなく、明日から目を背けていた。
悔しかった。
自分もあそこにいるはずだったのに、不倫して、離婚して、SNSで愚痴って干されて。
正直に自分の思うまま生きただけなのに。
間違えだったのだ。
過ちを犯したんだ。
逮捕されるようなことは何もしていない。
でも有名になってしまったから、不倫をして離婚して、SNSで愚痴ったら干されて、次の仕事も見つけらなくなってしまった。
何を間違えてしまったんだ。
どうしたらいいのだろうか。
もう全く分からなかった。
明日何をしたら、目の前の世界がよくなるんだろう。
諦めずに面接に行けば採用されて状況が変わるんだろうか。
分からない。
何かやるしかない。
でもやっても何も変わらなかったらどうするんだ。
池辺は外に出た。
向かった先はルミエールだった。
マスクをして帽子を被って誰にもバレないようにして、ルミエールの前に立っていた。
ルミエールからはコンビニへ買い物に出かける人が門から出てきていた。
知らない人、知っている人が仲間と一緒にそばを通っていった。
あそこに戻れたら全て解決するのに。
でも自分にはそれができないんだ。