「ハンガーゲーム」善人とは何か

映画

「ハンガーゲーム」という映画に意外と面白くてハマってしまいました。

あらすじを見て、バトルロワイアルみたいだなと思って観ていなかったのですが観ないと損ですね。

この映画は幼稚な殺し合いの物語ではなく、”善人とは何かということ”を問う難しくも難解で深い映画です。

(※ちなみにこの内容は「ハンガーゲーム」をFINALのレボリューションまで観たのちに書いていますので、ネタバレ注意です。)

「ハンガーゲーム」概要

富裕層と貧困層が完全に断絶された世界で、富裕層たちは貧困層の子どもたちを使ってイベントを開催します。

それは最後の一人まで生き残りをかけたサバイバルゲームです。

ゲームはある区域内で行われ、異様に発達した富裕層たちは、その生死をかけたサバイバルゲームを、まるでテレビゲームを見るように操作しながら、観戦するのです。

そんな間違った世界で必死に生き、勝利をおさめるのが主人公のカットニスとピータです。

この二人は始め、あまり親密な仲ではありませんでした。

ピータがどういう人なのか全然わからないので、信用できるのかわかりませんでした。

主人公のカットニスはピータと距離を置きながらも、生き残るために必死で攻防を繰り広げるのです。

そんな誰も信用できないところから始まった二人の仲は、やがて究極の愛へと繋がるのですが、これは物語を最後まで観た人だけがわかる結末となっています。

カットニスとピータとゲイル

実はカットニスにはゲイルという恋人がいました。

私も始めはピータよりもゲイルの方が誠実に思えたので、彼の方を信用していました。

しかし、回を重ねるごとにピータの魅力が開花し始めます。

カットニスは優秀で勇敢で誠実で、間違いを犯さない尊敬すべき主人公です。

しかし、ピータとゲイルを含め、この物語に登場する人物たちは誰も信用することができません。

なにせ行なっていることは殺し合いなのですから。

そういった状況下において、信用できる人はゲイルと家族のみだと思っていました。

しかし、そうではなくピータこそ本当に信頼できる人物だったのです。

ピータという人物は特別強いわけでもなく、頼りになるわけでもありません。

言ってみれば、同じ地区で生まれたカットニスにとってはお荷物のような存在でした。

そのため、カットニスも最初は見向きもせず、好きになることもありませんでした。

しかしハンガーゲーム2の中盤辺りから、その愛は本当のものへと進化していきます。

決定的に何か悪いことをしたわけではないゲイルへの想いも拭うことができず、レボリューションの最後まで、三角関係は続いていくことになります。

ピータの誠実さ

ピータは物語の始めからカットニスに恋心を抱いており、その叶わぬ想いを自分の胸にしまいこみながらも、いざという時は彼女を救うというだけのキャラクターでした。

人を殺し、残酷な過去を経験したせいで、不眠症になったカットニスのそばにいつでもいると言い、優しく見守ってくれます。

一度は洗脳され、カットニスを殺そうとするピータですが、徐々にその洗脳は解かれていきます。

洗脳が説かれていく過程で、ピータはカットニスへの愛を思い出していきます。

そんなピータの誠実さが伺える部分がいくつかあります。

それは自分が洗脳されていることに気づいているにも関わらず、カットニスに暴力をふるってしまうことがある時に垣間見えました。

ピータは少しずつ洗脳は解かれていたはずなのに、自分を縄で縛ることを提案します。

この行動は自分を戒める行動であり、自分すら犠牲にして、カットニスを守ろうとする意思の現れであったのではないでしょうか。

さらにピータはゲイルとのやり取りの中で「カットニスが好きなのは君(ゲイル)だから、君がカットニスを幸せにしてあげてくれ」と言う場面があります。

このやり取りをこっそりカットニスが聞いているのですが、これもピータの誠実さが伺える部分ではないでしょうか。

本当にカットニスを愛しているのに、自分の幸せなど押し殺して、彼女の幸せを優先したのです。

一方ゲイルは洗脳でおかしくなってしまったピータを揶揄したり、自分たちのためならばと、他人の危険を顧みない作戦を提案したりします。

もちろんゲイルも間違えていると、はっきり言うことはできないのですが、どちらが誠実で信頼できるかというとピータの方なのです。

人は自分を犠牲にしてまで、他人を守ろうと考えられる人が最も信用できる人なのではないかと思います。

一般的にはゲイルのような人がとても多いのではないかと思います。

自分のことを犠牲にして他人を助けられる人など、そういないのです。

現実にはピータのように勇敢な人はいないかもしれませんが、本当に誠実な人とはそういう人なのだと思います。

カットニスとピータの誤解

カットニスとピータは実は始めから互いに惹かれあっていたはずなのです。

そんな様子を裏付けるシーンがあります。

それは始めに行われるパンのやり取りです。

ピータはパン屋の息子で、雨の日に木陰に隠れてお腹を空かしているカットニスの前で、パンを外に投げ捨ててしまいます。

それを見て、カットニスはピータが本当に嫌な奴だと思ってしまうのですが、ピータは嫌がらせのために、パンを外に捨てたのではなかったのです。

お腹を空かしたカットニスのために、家族には内緒でパンを外へ放り投げたのです。

それは思春期の男の子が行なってしまう、不器用が故に勘違いを生む行為でした。

のちに洗脳されながらも自分が行なった行為の弁解をするピータが切なく映るシーンがあります。

カットニスはピータに興味があったからこそ、パンを投げ捨てられただけで憤りを感じたのではないでしょうか。

幾度もの苦難を乗り越え、奇跡的に生き残ったカットニスとピータは、互いを無視することができず、故郷で再開を果たした二人は、違いの恋を確かめ合い、子どもと幸せに暮らすという結末を迎えるのです。

この物語は誰が善人か、そして善人とはどういう人物なのかを説いたとても奥深い恋の物語なのではないでしょうか。