映画「メッセージ」を観ました。ずっと気になっていた映画です。
感想としては不思議な映画、難解な映画でした。
しかし、「インターステラー」ほど難解ではありません。こちらの方が簡単でしょう。
この映画を作った人はとても頭がいいですね。
文字のデザインなどとても苦労したのではないかと思います。
そして言葉の伝わらない人との対話がどれほど難しいことであるのか、それを考える機会にもなりました。
そういう意味でも”カンガルー”の話はとても興味深く、心に残る話でした。
驚いたところ
私はこの映画で驚いたところがいくつかあります。
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文字と音が関係ない
宇宙人が言葉を発しないといところはとても興味深かったです。
宇宙人が発している動物のような鳴き声は、文字と関係ないというところは制作者の選択としてとてもクレバーな気がします。
誰もが音と文字を関連づけることが普通だと考える中で、音と文字は関係ないとするのは本当にすごい選択だと思いました。
発想としては普通では思いつかないので、驚きのレベルだと思います。
文字が一つで一つの単語であることと文字のデザイン
宇宙人が使う文字が私の想像を超えた文字でした。
これは漢字のような文字一つ一つに意味のあるということで、その形が丸のような形であることです。
一見私には同じ丸にしか見えない文字が、細部を見ていると違うということがわかりました。
なぜこんなにも細かい文字にしたのか私にはわかりませんが、誰がこんな形の文字を予想したでしょう。
これにより、目の前にいる生物が明らかに地球に存在するものではないということを信じる効果に繋がったのではないかと思います。
宇宙船のデザイン
メッセージが予告の時点で衝撃的だったのが、その宇宙船のデザインです。
おそらくこのデザインが特殊で映画館に足を運んだ人も多いのではないかと思います。
前段階として、このデザインはわかっていたので知識としてありました。
しかし私が驚いたのはこの宇宙船が横に傾いたときに、本来私たちが知っている宇宙船に近い形になることです。
球体の円盤は私たちが想像するUFOそのものだったのです。
これにより、ああそういうことか、これは私たちの知っているUFOだったのかということを認識することができました。
それによって、ますますこの映画をリアルに捉えることができるようになったのです。
未来の捉え方
さてこの映画の醍醐味であり、完全に謎に包まれた未来の捉え方について考察していきましょう。
この映画がヒントとして見せてくれたこと、それは”未来は流れる先にあるものではない”ということです。
これはどういうことなのか調べた結果、過去 現在 未来を同じ時点で存在するものとしての捉え方があるということでした。
過去と現在と未来はプツプツと切れる個別の存在なのです。
つまり、過去→現在→未来という流れではなく
過去・現在・未来が個別に存在しているといことです。
この考え方をわかりやすくするために光の話をしたいと思います。
光は発せられた瞬間に目的地を計算し、その目的地を最短で行くルートに沿って進んでいるという考え方です。
つまり、光は発せられた瞬間に終わりが見えているということです。
私は初め何を言っているのかわかりませんでしたが、これを光ではなく、ゴルフの玉に変換するといいと思います。
例えば、ゴルフの玉がクラブによって打たれた時、それは何秒後かには必ず、地面に落ちることが予想されます。
それは簡単な計算によって、どこに落ちるかも予測することが可能です。
つまり、ボールが放たれれば、落ちるということは決まっているのです。
これと同じように、現在を起点とした時、未来は必ず決まっているということが言えます。
それは簡単に防ぐことだってできます。
北朝鮮がミサイルを打ったとしてもその軌道を計算することができれば、ミサイルを撃ち落とすことができます。
これと同じように人が生まれたら、死ぬということも決まっているのです。
人間が高いところからジャンプをすると、重傷を負うか最悪の場合死に至ることも予想されます。
このように未来とは現在の延長戦ではなく、切り離された予測可能なものなのです。
ではこの映画に誕生する宇宙人が言っていた、3000年後に起こることとはなんだったのか。
それは隕石の落下による、彼らの滅亡です。
彼らは隕石が彼らの住む惑星に迫っていることを計算によって導き出しました。
そしてそれは今の彼らの科学を以ってしても、変えることのできない未来だったのです。
そのため今のうちに言語を教えて、自分たちを助けてくれと言いにきたのです。
構成の凄さ
未来を過去のように描いた構成が、とても素晴らしいと思いました。
観ている人はずっと”なぜ、主人公の過去の話ばかりをフラッシュバックするのか”わからなかったでしょう。
私もなぜこんなに頻繁に過去を描くのかわかりませんでした。
しかし、これは過去ではなく未来であることを知るのです。
そして、分かっていた未来を主人公は選び、未来2ではその先にある残酷な結末を描きませんでした。
それは北朝鮮のミサイルのように防ぐことができたのか
防ぐことができなかったのかわかりませんが
パラレルワールドの世界ではその未来も何パターンもあるという考え方があるため、その未来を変えることができたのではないかと思っています。
さてこの映画は宇宙人というものを描いた作品です。その宇宙人が宇宙人であるために様々な工夫がされています。
冒頭の奇妙な宇宙船に乗る際、物理学者がその船体の素材に触れる部分があります。
その際には、これは作り物だなと誰もが思ったのではないでしょうか。
ああこれは作り物だと思い、若干客観的に観る自分を作り出したことを覚えていました。
しかし次の瞬間、宇宙船内が無重力に近い構造であるということを描いた時から、私はその客観視をやめることにしていました。
そこからこの映画にのめり込み、夢中でそのストーリーを追い始めたのです。
※カンガルの話
アメリカ人がオーストラリアに初めて着いた際、カンガルーを指差して見て「あれは何ですか?」と聞きました。
すると先住民のアボリジニーは「カンガルー」と言ったのですが、カンガルーというのはアボリジニーの言葉で”理解できません”だったのです。
つまり、アメリカ人とアボリジニーの話は噛み合っていなかったのに、アメリカ人がカンガルーの名前を勝手にカンガルーだと解釈したのだということです。
この誤解は劇中でも起ころうとしていました。
劇中で宇宙人が言った”武器”という言葉は、私たちが考える攻撃的なものではなく、単なる道具としての武器だったのです。
のちにこの道具が”言葉”であることがわかるのですが、この勘違いから地球全面で、宇宙人に対する戦闘体制が始まってしまいます。
私はこの映画を見ていて、暴動が起こったり、中国が攻撃を仕掛けたりととてもこういう状況になることがとても悲しいことだと思いました。
しかし、もしも地球上で同じことが起こった場合、人間は平和的措置を取らず、きっと暴動を起こしたり、攻撃を仕掛けたりするんだろうなと思いました。
だからこそ、今地球に来ている宇宙人は隠れざるを得ないのかもしれません。
人間がもっともっと高次の生き物になれば、地球には想像を絶するほどの美しい景色が広がるでしょう。
しかし、地球に住む人々は、宇宙へ旅立つことができないほど、愚かで恥ずかしい生き物なのです。
つまり、宇宙人は人間を宇宙に旅立たせたくないのです。
なぜなら、人間はいつも争いを繰り返す、下等な種族だからです。
そう、人間は紹介するには恥ずかしい生き物なのです。