「隣の家族は青く見える」8話名セリフとタイトルの意味とは?

ドラマ

ドラマ「隣の家族は青く見える」がとても感動します。

中でも8話は名セリフがたくさん出てきたので、紹介したいと思います。

亮太への愛の言葉

コーポラティブハウスに住む子どもを作らない夫婦の旦那の方の元妻との間に生まれた子ども亮太は母親と死別しています。

亮太の母親は自分の誕生日に亡くなりました。

亮太は母親が死ぬ日、仕事で忙しい母親へ「お母さんなんかいらない」と言ってしまいます。

その日のうちに母親は死んでしまい、謝ることができないでいました。

そんな亮太にとって誕生日は祝うほどめでたい日ではないのです。

それを知らない亮太の父親の新しい奥さん・高橋メアリージュンさん演じる杉崎ちひろが誕生日ケーキを作ります。

ケーキを見せられた亮太はケーキを床に投げつけて、反抗します。

激怒するちひろに亮太は母親との思い出を告げるのです。

それを聞いたちひろの言葉がとても温かいものでした。

「悪かった私が。知らなかったの、今日がお母さんの命日だなんて知らなかったの。亮太ごめん、亮太を傷つける気持ちなんてなかったの。本当にごめん。ごめんなさい。ごめんなさい。」

亮太「いらないって言っちゃったんだ。いつも忙しくて僕の誕生日でも仕事で一緒にいられないっていうから、お母さんなんて別にいらないって言っちゃったんだ。でももう謝れない。お母さんのこと傷つけた。」

ちひろ「大丈夫。お母さんはそんなこと気にしてない。」

亮太「なんでわかるんだよ。ちひろにお母さんの気持ちなんて分かるわけないじゃん。」

ちひろ「分かるよ!亮太のお母さんとお父さんはね亮太と一緒に暮らしたくて何年も親の権利を争ったんだよ?それぐらい二人とも亮太のことを愛してた。そうやってやっと亮太と暮らす権利を手に入れたお母さんが、寂しさの裏返しで行った言葉を本気にするわけないじゃんか!悔しかったと思うよ、亮太を残して死ぬの無念だったと思う。最後の最後まで亮太のこと心配で心配で仕方なかったと思う。」

この言葉でちひろと亮太の絆は深まるのです。

そんなちひろは愛情のない母親のもとで育ち、自ら縁を切りました。

子どもを産んでしまったら、母親と同じように自分も子どもに辛くあたってしまうのではないかと思い、子どもを作ることを禁じているのです。

しかし愛する旦那に隠し子がいたことで、亮太と一緒に過ごすことになるのです。

ちひろは自分の子どもではないからこそ、冷静でいられるのだと思うと言いますが、彼女の愛はとても深いものなのです。

五十嵐聡子の言葉

主役で深田恭子演じる奈々が苦しい不妊治療から帰ってきたところで、奈々の旦那大器の母親・高畑淳子演じる聡子が義理の娘にかけた言葉がとても温かかったです。

聡子「奈々ちゃん、もうちょっと甘えてよ。今はそういう時代じゃないってことはよくわかってるのよ?でも私は奈々ちゃんのことを家族だと思ってるんだから。家族ってさもっと言いたいこと言ったり、甘えたりしていい存在だと思うのよ。せっかく近くにいるんだし、もうちょっと甘えてよ。だめ?」

奈々「ありがとうございます。今日本当は一人で心細かったんで、お母さんが待っててくれてすごく嬉しかったんです。これからはもう少し甘えたり、思ったこと言ったりしますね。」

義理の母からこんなことを言われても、本当に甘えることなんてできません。

しかし聡子は本当に奈々に甘えてもらいたいと思っているのです。

自分が大変な時に一人で頑張ってしまう奈々を心配でならないのです。

その思いが伝わって奈々も遠慮せずに甘えることができたのかもしれません。

口先だけではなく、本当にそう思ってくれていると思えたからこそ、甘えることができたのかもしれません。

タイトルの意味

タイトルの「隣の家族は青く見える」は当初「隣の家の芝生は青い(何でも他人のものはよく見えるものである。)」と同じ意味だと思っていました。

しかしそうではなく、その人の立場にならないと、その人の気持ちは分からないという意味だったのではないかと思いました。

それに気づかせてくれたのは、聡子のこんな言葉でした。

聡子「事情が変わったり立場が変わったりしたら、言うことややる事が変わるのは当然なのよ。」

奈々「そうですよね。私も最近職場で同じようなことを思ったんです。もし自分にすんなり赤ちゃんができてたら、不妊治療してる人の気持ち理解できたかなと」

聡子「自分と違う立場の人や違う事情を抱えた人のことを理解して、思いやる事ができたら理想的だけど実際は自分がその立場になってみたり、事情を聞いてみたりしない限り、分からないことだらけよね。」

大器「そうだな。そうだよな。」

このことはわかってはいるけれど、気づかないことなのかもしれません。

先日、R-1グランプリで濱田祐太郎さんがグランプリを受賞しましたが、目の見えない人にならない限り、点字ブロックが必要かなど考えたこともありませんでした。

自分が通っている施設に点字ブロックがあるかどうかなど、気にもしなかったのです。

しかしそう言ったことを知った上で街を見てみると、いかに点字ブロックが少ないことに気づくのです。

もしかするとこの日本は障害のある方にとってはまだまだ住みにくい場所なのかもしれません。

その人たちにとっては生活する上でなくてはならないものであるはずなのに、そのことについて全然考えていない人がたくさんいるのです。

私はそういうことを考えられる事ができるようになりたいと思いました。