「僕らは奇跡でできている」は何を伝えたいのか?

ドラマ

ドラマ「僕らは奇跡でできている」が始まりました。

脚本は「僕の生きる道」『僕のいた時間』などの橋部敦子さんです。

このドラマは書く側はとても難しく非常に時間のかかるものではないかと思います。

高橋一生さん演じる相河一輝は、京都大学の大学院を卒業し、私立文化都市大学で動物行動学を教える専任講師です。

彼のぶっ飛んだ性格は天才か何かの障害があるようなイメージです。

このような人の行動を描くのはとても難しいと思うので、橋部さんは非常に苦労されているのではないでしょうか。

「僕らは奇跡でできている」は何を伝えているのか

このドラマは一見変人・相河一輝が奇跡のような出来事を起こすドラマのように見られがちですが、そうではなく現代に生きる私たちに原始的な動物の生き方の素晴らしさを伝えているのではないかと思います。

榮倉奈々さん演じる水本育実は、東京医科歯科大学歯学部出身の歯科クリニックの院長という超エリートです。

彼氏よりも年収の高い彼女は、高そうなネックレスを自分で買い、高級料理店の食事代を出し、彼氏に歯科クリニックの経営の悩みを話します。

彼氏は、彼女との交際に嫌気がさし、怒って帰ってしまうのです。

彼女は彼氏になぜ怒られたのかわかっていませんでした。

悩んでいた育実に、一輝は「あなたはウサギみたいですね」と言います。

一樹は、育実は人を見下しているのだと率直に伝えるのです。

人は童話「ウサギとカメ」のウサギのように、他人を見下して生きているのかもしれません。

他人よりも優秀でいたい、他人よりも幸せでいたいと言って、必要ではないものを買ったりするのです。

カメはウサギのことなど気にもせず、ひたすら自分の生活をしています。

明日は何が起きるのか、この先に何があるのか、それだけを考えながら生きていると言うのです。

相河一輝が言ったことの意味とは

相河一輝は別に優秀な大学で講師をしているわけではありません。

生徒たちは授業を真面目に聞かない不真面目な人ばかりです。

一輝はそんな大学で自分のやりたいことを教えています。

シマウマはなぜシマシマなのか、生徒たちに考えさせる授業を行いました。

答えは解明されていません。

一輝はなぜそのようなことをさせたのでしょうか。

この行動もカメの真意と通じるものがあるように思います。

現代人はお金に囚われています。

お金がなければ何もできません。

他人と比べるから、必要のないアクセサリーやキャリアなどを求めたがります。

しかしそんなものが本当に必要でしょうか。

人間が生きるためにに必要なものは、食べ物と交流と、セックスと運動のみです。

そのほかのものは他人を気にするから必要なだけなのです。

育実は雑誌の取材で撮られる写真を気にしてネックレスを買いました。

彼女はそのネックレスを何のために買ったのでしょうか。

自分が幸せだとアピールするためでしょうか。

人に見られて相応しい格好をするためでしょうか。

別に見た人は首にネックレスがあろうがなかろうが、どちらでもいいはずです。

しかし育美はネックレスを買ったのです。

彼氏の立場をたてずに高級料理を奢り、自分で買ったネックレスを付けて会う。

それは単なる見栄ではないかと、一輝は言ったのかもしれません。

一輝はただ自分の探究心のために、森へ行き研究を行なっています。

歯医者の予約など関係なしに、時間を忘れ研究に勤しむのです。

はたから見れば、彼の行動はおかしいかもしれません。

しかし彼の中では一本筋が通っているのです。

自分のやりたいことを今この瞬間に行う。

自分がやりたくないことは後回しでいい。

普通ならできないことを、一輝は簡単にやってしまいます。

平気で約束を破り、デリカシーのないことをはっきり言うのです。

自分が興味のある話を、気にせずベラベラと話します。

どこか見ていて不思議な人ですが、他人を気にして自分の好きなことができなくなった現代人よりも幸せなように感じます。

まとめ

私たちは不必要に他人を意識しすぎているのではないでしょうか。

お金があるからといって必要ではないものを買い、ネットで自慢し優越感に浸る。

それでも飽き足らずどんどんお金を稼ぎ、さらに自慢する。

しかしそんなことが本当に必要なのでしょうか。

アメリカにはミニマリストがたくさんいます。

必要最低限の収入を得て、生活する人たちのことです。

彼らの中には大金を稼いだ人もいます。

たとえ大金を手にしても、彼の幸福度は上がりませんでした。

そこで気づいたのです。

幸せになるためには、お金など必要ない。

幸せになるには、何が必要なのでしょうか。

一輝は幸せには「自分の好きなことを思いっきりすること」が必要だと言っているのではないかと思います。

このドラマは私たちが知らない間に身につけてしまった、可笑しな見栄を削ぎ取ってくれる素晴らしいドラマなのかもしれません。