人生にはやり直したいことがあっても、やり直せず、流れていくのだ。
川は流れ、風は吹き、時間は過ぎていく。
立ち止まって休みたい時も、時は流れていくのだ。
俺は東京でプログラマーとして、働いていた。
好きで始めたことだが、どこに行ってもどうしても好きになれない人がいて、もうそんな生活が嫌になっていた。
東京ではなく、どこか自然の近くで、お金に縛られない生き方をしたいと思うようになったのはその頃だった。
俺たちはその頃から、長野県へ移住するために、ネットで調べるようになっていた。
親からもらった300万円を元手に、投資をし、資金を集めることにしたのだ。
その選択が功を奏したのか、3年後には3000万円の資金を得ることができた。
集まったお金は引っ越し費用と空き家の工事でなくなり、残りは親からもらった300万円とプラス200万円ほどになっていた。
この500万円を握りしめ、俺たちは長野へ移動することになったのだ。
「ゲイブリエル、荷物はそれだけでいいの?」
「ああ」ゲイブリエルはそう言って、ダンボールに封した。
ゲイブリエルはアメリカ育ちの黒人で、俺たちは7年前にネットで知り合った。
同性愛者の俺は、20代後半から恋人が欲しくなり、ネットで探しては会ってを繰り返し、やっとゲイブリエルと知り合い、一緒に暮らすことになった。
ゲイブリエルもプログラマーをやっており、その腕は俺の何倍も優れていた。
俺は長野へ行き、農業を営むことにしていたが、ゲイブリエルは市内の会社でプログラマーを続けるようだ。
俺たちは中古で買ったEV車に乗り、長野へ向けて走り出した。
途中で休憩のために降りたインターで食事をし、車に向かうと雨が降り出した。
エンジンを掛け、ナビで行き先を調べていると、車の外が騒がしいことに気づき、俺は外を見た。
外では雨にも関わらず、びしょ濡れになっている10歳くらいの少年がいた。
少年は隣の車に向かって泣き喚いている。
俺はすぐに彼が虐待されいているのではないかと思った。
車に乗っている親らしき女性の姿が目に入った。
彼女は何かストレスを感じたような感じで、険しい顔をしていた。
外で泣き喚く少年を無視しているようなのだ。
俺は意を決して、外へ出て親らしき女性に注意しようと外に出た。
ドアをノックすると、女性は訝しそうに俺の顔を見た。
「入れてあげたらどうですか?雨に濡れていますよ」
女性は窓を開けると鬼の形相で、ほっといて下さい」と言うのだ。
「えっ」私は彼女の言っていることが理解できず、「子どもが泣いています。かわいそうじゃないですか?警察を呼びましょうか?」
「あの子が勝手に外に出て行ったんです。なぜ警察を呼ぶんですか?あの子が車に入りがらないんです」
俺は何を言っているのかわからず、しかめ面をした。
「でも風邪をひいてしまいます。中に入れてあげたほうがいいと思いますよ」
「あなたは子育てしたことあるんですか?私の気持ちがわかりますか?」
俺はそれを言われ、言い返す言葉が見つからなかった。
「無いですけど」
「その子自閉症なんです」
「え、あ」
俺はもうどうしていいかわからず、自分の車に帰っていた。
それから何分か経ち、車を出すことにした。
気づいた頃には結構走っており、移住先の最寄りの出口はもう20分ほど先となっていた。
「猫飼ってるの?」
どこからともなく、少年の声がした。
俺とゲイブリエルは何か聞こえたので、後部座席を見た。
後部座席にはペットのティちゃんの隣に、先ほどの少年が座っていた。
「ちょっと君、なんでここにいるの?」
「ドアが開いてたから」
「え」
俺とゲイブリエルは顔を見合わせた。
俺はとりあえず、移住先のインターまで向かうことにした。
「君、どうして車に乗っているの?お母さんは?」
「ドアが開いてたし、こっちの方がいいかなと思って」
「え、何を言ってるの?お母さんが心配するんじゃない?」
「いいじゃない、ちょっとくらい」
少年はそう言って、ティちゃんを見てた。
「可愛いね、この猫。名前は?」
警察署へ行くと、お巡りさんが相手をしてくれたが、被害届がまだ出ていないということで、その日は一旦家に連れて行ってくれないかと言われたのだ。
連絡先を聞かれ、何かあったら連絡するように言われた。
わかったことは少年が”今岡陸”という名前で、10歳だということ、住まいは川崎のどこかだということだ。
その日は母親と妹と一緒に出かけていたそうで、インターでは俺たちと同じで休憩をしていたようだった。
「とにかく、明日また連絡しますから、親御さんへの連絡先がわかったら、教えて下さい。では」
田舎の警察はこんなに緩いのかと、嘆いているとゲイブリエルは何か楽しそうに、陸君と一緒に遊んでいた。
「俺たちが悪い人だったらどうするんだろうね?」
「まあ悪い人には見えなかったんじゃない?」
「まあ悪い人ではないけれどw」
ゲイブリエルはこの状況をとても楽しんでいるように見えました。
俺も少しは楽しかったですが、母親が言っていた言葉を思い出すと、胸が痛んだ。
「あなたは子どもを育てたことがあるんですか?」
俺は子どもを育てたことがないから、育児の大変さを知らない。
もしかしたら、俺だって疲れたら、子どもを雨の中に置き去りにしてしまうのだろうか。
子育ては大変なのかなと思った。
「ねえ、おじさんたちどこへ行くの?ここはどこ?」
「え、ここは長野県だよ、おじさんたちは今からお家に帰るんだ。君も今日はおじさんの家に行くんだよ」
「へえそうなんだ。どんな家だろう」
「はは」
移住先には自信があった俺たちは、初日から来客があることをとても嬉しく思った。