「あれ、陸くん、どうしたの?なんで泣いてるの?お母さんは?」
陸は井崎宅へ上がった。
「とりあえず上がろうか」
陸はソファーに着くなり、ホッとしたのかお腹を鳴らした。
「え、陸くんお腹空いてるの?」
「うん」
とはいえ、もう21時だった。二人の食事は済んでいたため余り物しかない。
育ち盛りの陸くんが喜ぶほど料理を用意できるか心配である。
「陸くん、ちょっと待っててね」
俺は冷蔵にあるもので、お腹を膨らませられるものを作ることにした。
卵焼きを焼きながら、「陸くんどうしてここに来たの?」
「また会いたくなったから」
「え、あ、それは嬉しいね」
ゲイブリエルは笑っている。
「でもお母さんは?」
「お母さんはいないよ。一人で来たんだから。道覚えててよかった」
「え、道覚えてたの?一人で来たの?」
「うん、一人だよ、すごいでしょ?」
陸は得意げな顔をしている。
「でもなんでこんなところまで一人で?」
「だからまた会いたくなったから。だっておじさんたち面白いんだもん」
「面白い?・・・」
「ハハハハハ」
ゲイブリエルが笑っているが、俺はなんだかバカにされたような気分にもなった。
「お母さんにはちゃんと言ってきたの?」
俺は卵焼きとご飯と夕食の余り物をテーブルに乗せた。
「ねえ陸くん、どうしてお家に来たの、おじさんに教えてくれない?」
陸が俺の顔を見た。
ティちゃんが陸の食事の匂いを嗅ぎ分けて居間へやってきた。
「あ、ティちゃん久しぶり、可愛い」
陸はティちゃんを撫でていた。
「ねえ、陸くん」
「おじさん、あのね、ため息はついちゃいけない?」
「ん?どういうこと?」
「ため息は生理現象なの?」
「ああ、そういうことか。でも話を逸らさないで」
「ため息は生理現象?」
陸は譲らなかった。
「もう!おじさんはため息は生理現象だと思うよ。おじさんも会社で上司にため息をつくなって言われたことがあるけど、それはおかしいと思うな。だってため息は生理現象だから。我慢できないんだよ」
「そうそう、そういう変なことを言う人は俺も嫌いだね」
ゲイブリエルも話に入ってきた。
「そんな細かいこと言ってくる人はちょっと変なんだよ」
「そうか。やっぱり変なんだ」
陸はとても嬉しそうだった。
何より、二人のおじさんが先生と同じことを言っており、それ以上にそういうことを言う人が変だと言ってくれたことがとても嬉しかったのだ。
「ねえ、おじさん僕ここにずっといても良いかな?」
「良いよって、はあ?何言ってるの?」
「ここにいたいんだ。ずっと」
「ずっと?ここにいたい?」
「どういうこと?」
俺は耳を疑った。そんなことできるわけもないし、親が許すはずがないんだ。
「陸くん」
ゲイブリエルが俺の声を遮った。
「まあ良いんじゃない?とりあえず来たばかりだから、そんな問い詰めなくてもさ」
「・・・。まあそうだけど」
陸はゲイブリエルに笑顔を向けた。
「やっぱりおじさん良い人だね。ここに来て良かった」
「え、ちょっとなんかバカにされているような気がするけど」
「バカにされる方がいいじゃないw陸くんに好かれたわけだし、悪いことではないんじゃない?」
「そうだけど、陸くんのお母さんが」
「ほら、また!」
陸が風呂に入っている時、俺とゲイブリエルは話し合った。
「陸くんは何か事情があってここへ来てるんだと思うよ。小学生がこんな遠くまで普通は来ないんじゃないかな」
「まあそうだけど」
「陸くんはお家で何かあったのかもしれない。これは家出なんだ。ただしただの家出じゃないかもしれない」
「でもあの親やばいんだよ。もし今度同じようなことがあったら慰謝料を請求するって言ったんだ」
「そうなんだ。だとしたら、陸くんは親に虐待されてる可能性もあるよ。そんな変な親ならそういうこともあり得る」
「えそうなの?でも陸くんは体に傷が一つもないじゃない」
「そうだね。確かに」
「どうすればいいんだ」
「とりあえず具体的なことは、明日考えよう。明日は休みなんだ。考える時間はいくらでもあるさ」
ゲイブリエルはワクワクしたような顔をしていた。
ゲイブリエルはあの母親と話したことがないからこんなに悠長でいられるんだ。
あの親と一度でも話したことがあるなら、関わらない方がいいとわかるはずなんだ。
あの親はいわゆるヒステリーなのだ。初めは俺の方が間違っているかもしれないと思ったが、陸を返した日、あの親が変な人だとわかったんだ。
でももしそれを陸が肌で感じているとしたら、あの子も嫌になったのかもしれない。
だとしても陸はあの母親の息子なのだ。
俺たちにどうすることもできないし、何かする必要もないのだ。
俺と陸は赤の他人なのだから。
陸が風呂から上がってきた。
「ねえ、陸くん」
俺が陸に話しかけようとすると、ゲイブリエルがパジャマを持ってきた。
「これでいいかな」
この前の滞在の時に買ったものをまだ取っていたのだ。
「君の服、増やさないといけないかな?」
「ハハハハハ」
二人は笑っていた。
「勘弁してよ」
俺は素直に喜ぶことができなかった。