『中学聖日記』10話「何が正しいことなのか」

ドラマ

「中学聖日記」が今期一番面白いドラマだと思います。

聖と晶は、別に何も悪いことをしていないのに、人から責められ、様々なものを失っていきます。

吉田羊さん演じる、原口さんの言葉が刺さります。

「人の目を恐れて正しく生きる臆病者と、罵詈雑言を浴びながら何かを得ようと戦う勇者。私は勇者の味方。聖ちゃん戦ってる」

何より許せないのは、晶の母親・愛子と、聖の母親です。

大人は自分のことと世間体ばかり考える

愛子さんは一見まともなことを言っているようで、実は自分のことしか考えていないろくでなしだと思います。

子供のことを一番に思っているようで、自分の気持ちを抑えられない単なる自己愛者なのです。

晶が非行に走ったら困る。あの子の将来が台無しになる。

それらの感情は単に、自分が描いている晶像を守るためだけです。

晶がどう生きたいか誰と暮らしたいか、何を知りたいのかなど、どうでもいいのです。

彼にとって何が一番大切なのかを、見失っているのです。

事実に目を背け、嘘で塗り固めているから、晶は信じられなくなったのではないでしょうか。

自分を守るため、自分の理想を守るため、全て従わせる。

そんな人だから、晶は離れていったのではないでしょうか。

心配になったら、どこへでも飛んでいき、自分の感情を抑えきれず好き勝手に吐き散らす彼女は我慢ができない子どもも同然です。

聖は全ての感情を押し殺し、我慢ばかりしてきました。

聖は何も悪くないのに、ただ自分の想いに正直なだけなのに、追い込んで警察を呼んだのです。

人は何をしても許されるかもしれません。

しかし人の人生を変えるようなことはしてはならないのです。

自分の思いで、人の人生を狂わせるようなことはしてはいけません。

その人が不幸になるとわかっていることを自ら誘ってはいけないのです。

聖の母親は聖のことを第一に考えているように見えますが、決してそんなことはありません。

聖が意を決して自分の気持ちを打ち明けたのに、「この子は本当はいい子なんです」など、とてもかわいそうなことを言いました。

もちろん聖を守るためであったのはわかりますが、それにしても自分の子どもが狂っているなどというのは言い過ぎなのです。

我が子が決めたことであるなら、最後まで信じてあげなければならないのではないでしょうか。

たとえ世界中の人がその人を責めても、親だけは味方でいなければなりません。

それがその子を救うことになるのです。

私は聖の母親は一番してはいけないことをしてしまったのではないかと思います。

二人の言葉が心に響く

聖と晶はやっと両想いを確認できたのに、自らその関係を断ち切ろうとします。

それは聖に大切なものを思い出して欲しかったからです。

裏切られたと思っていた聖は原口さんの計らいで、晶に再開することができます。

晶は自分の不安な気持ちや苛立ちをぶつけることなく、どうして理工学部を目指しているのか、その先の将来に何を抱いているのかを尋ねます。

晶にはその問いかけが他のどんな問いかけよりも、心に刺さったのではないでしょうか。

別れを告げた相手が自分の将来のことを真剣に考えてくれている。

その理由を知りたがってくれている。

それは自分自身に興味を持ってくれているようで、すごく嬉しかったのではないかと思います。

そんな聖の愛に、晶が答えます。

晶は教師という仕事を本当に諦めていいのか問いたのです。

聖自身さえも忘れていた、自分の本当の気持ちをもう一度呼び覚ましてくれました。

この二人は誰よりもお互いのことを考えているとても素敵な人なのではないでしょうか。

聖の元カレ・勝太郎さんや二人の母親の言葉よりも一番心に届くのです。

未成年と恋をしてはいけないのか

私はこのドラマが問いかけている、禁じられる恋とは存在するのかということを改めて考えたいと思いました。

母親たちが気にしている世間体のことなど、どうでもいいと思います。

恋は勝手に落ちるもので、制御できるものではありません。

たとえどんなに切り離そうとしても、必ず惹かれあってしまうのです。

それがどんなに年の離れたもの同士の恋であったとしても、誰にも止める権利はないと思うのです。

一つ疑問に思うことがあります。

晶の母親はどうして、晶の同級生・岩崎るなとの恋は応援したのに、先生との恋は反対したのでしょうか。

るなと恋に落ち、子どもができ、学校に通えなくなることだって、人生を狂わせることになるかもれません。

それなのに、どうして愛子さんはるなとの恋には反対しなかったのでしょうか。

私が言いたいのは、年の差など関係ないということです。

恋は誰としてもリスクがあるものです。

失恋するかもしれませんし、その果てで傷つくかもしれません。

恋とはそういう危険なものなのです。

そしてそのリスクを親は拭ってはいけないのです。

なぜなら恋は誰もが経験すべきものなのですから。