『アリータ: バトル・エンジェル』 を観てきました。
金曜日の夜に観ちゃいました。
うーん、「これはなんだ!」って感じですね。
「アリータ、挑発しすぎ」って、私は思ってしまいました。
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この映画は観るべきか?
感想としてはあんまり納得はできないですが、明らかに観るべきではあるかと思います。
ジェームズ・キャメロンの映画はぶっ飛んでるんですよね。
普通じゃないです。
わけがわからないんです。
普通ならこうなるだろうというところで逆になったり、そこはこっち、そこはあっちと逆逆を繰り返します。
これはすごいからすごすぎて、逆を行っちゃったのか、どうなのでしょう。
だから、内容的には心地よくないですが、技術は最高です。
またすごいものを観たなって感じです。
『アバター』の時と同じで、綺麗ですごくて見応えがあって、確実に感動できるけれど、涙は流れないという感じです。
シナリオが残念
この映画には伏線が用意されています。
結構物語の展開を左右するところに伏線があります。
ヒューゴという主役キャラが登場するのですが、この人が感情を逆に悲しませてくれます。
『アリータ:バトル・エンジェル』の日本語吹替版に森川智之さん、鶴岡聡さん、神谷浩史さん、島﨑信長さんが出演! https://t.co/Ix63gsIkly pic.twitter.com/aW3Cd8j8tW
— アニメイトタイムズ公式 (@animatetimes) 2019年2月13日
(写真左端)
ヒューゴは良い人だけど実は悪い人だという展開です。
だけど、アリータに恋をして変わるという設定なのです。
普通ならヒューゴは良い人だったのに、悪い人で裏切られてブチギレて、でもアリータの愛で厚生するという展開が大堂だと思います。
でもヒューゴは早々と厚生し、アリータの味方になってしまいます。
残念な部分はヒューゴの感情の変化を描けなかったところだと思います。
ヒューゴはアリータの敵であるベクターと裏で通じていました。
ベクターはヒューゴを使い、アリータを殺そうと企みます。
でもヒューゴはアリータを愛してしまったので、アリータを裏切ることができません。
ヒューゴは一度命を落としますが、その際に涙を出すことができませんでした。
なぜならヒューゴが死んだ際、ヒューゴが良い人なのか悪い人なのかわからなかったからです。
本来なら一度アリータに本性を見せるべきなのです。
その後アリータの最上の愛で包む必要がありましたが、ヒューゴはアリータの愛で簡単に厚生されてしまったのです。
ちょっとここが私は物足りなかったです。
ヒューゴ役のキーアン・ジョンソンの泣きの演技が下手くそで、感情移入できなかったということもあります。
あそこだけなんでB級になったのかなと。
そしてジェニファー・コネリーも簡単にアリータの味方になってしまいます。
ここも感情の変化を描けていませんでした。
もっとわかりやすく変化を描くべきだったと思います。
バトルや技術を意識しすぎて、人間ドラマを描けなかったのではないでしょうか。
アリータが主役的魅力を持っていない
この映画が残念な点は、アリータの性格がイマイチよくない部分だと思います。
もちろん愛すべきところは持っているのですが、感情が子どもすぎます。
アリータは少女だという設定なので、それはそれで良いのですが、最後まで成長しないのですね。
アリータは超ド級に強いバトル・エンジェルなので、自分の体を最高級のロボットに変えて欲しいと願います。
さらに「戦わせてくれ戦わせてくれ」とねだるのです。
でも育ての親・イドはアリータを普通の少女として育てたがります。
この心の葛藤を描くのですが、アリータは子どもすぎてイドに反抗ばかりします。
アリータは反抗し、自分の強さを他に見せつけトラブルを招きます。
私はここになんだか恐怖を感じました。
結局強い人が一番みたいなことを前面に出してくるのですね。
アリータは強いから、他を挑発し支配しようとします。
もちろん敵は超絶悪いやつで許せない輩ですが、アリータもアリータで輩なのです。
恋人のヒューゴはやれやれと着いていきます。
私なら「アリータは面倒だから無理」ってなると思うんですよね。
アリータに恋をすることはありません。
その部分でとても残念です。
イドという存在
唯一の救いはイドという人物をきちんと描けていたところだと思います。
「悪役のイメージが強いのですが、今回はいい役でしたね」
クリストフ
「人間には色々な側面がありますが、演じるキャラによって内面を作り上げていきます。でも何より観客の想像力を邪魔したくないので、共演者を前にして「自分がするべきことはなんだろう」と常に考え続けるようにしています」 pic.twitter.com/CN6ToXxGy4— 映画『アリータ:バトル・エンジェル』公式 (@AlitaMovieJP) 2019年2月15日
イドは実は悪い人なのか?と思わせておいて、本当に良い人で、信頼できる最高の人だと誘導されます。
アリータが最後の対戦に出かける前に、イドを「お父さん」と呼びますが、そこでは少し感動がありました。
イドはアリータを愛していたが故に、アリータを制御しようとします。
アリータを大事に思うが故に、アリータの暴走を運命を止めようとするのです。
この部分は非常に理解でき、感情移入することができました。
ですが、アリータの動体を最高のものにするとき、イドはすんなりと渡してしまいました。
もうちょっと悩む場面があっても良かったのではないかかと思います。
ヒューゴは殺さなくていい
アリータの恋人ヒューゴは一度死にますが、頭だけ残り、生き返ります。
でも15分後くらいに死んじゃいます。
「え、なんで死ぬんだ?」と感情をかき回されます。
ヒューゴを生き返らせたなら、殺す必要はないだろうと思うと思います。
どうして殺さねければならなかったのでしょうか。
ヒューゴはロボットとして復活しました。
二人ともロボットになったのです。
ザレムではなく、下の世界で幸せに暮らせば良いではないでしょうか。
理想の終わり方
この映画は煌びやかで裕福な暮らしと、貧乏だけど愛に満ち溢れた暮らしのどちらが幸せかというところを描いているようにも思います。
権力とは何か?
支配とは何か?
という部分もそれに関係しているのではないでしょうか。
ジェニファー・コネリー演じるチレンは、イドとの生活がショック(娘を失った)で、ベクターという悪人に仕えていました。
一度良心を失い、悪に支配されたのです。
でもアリータの愛を知り、良心を取り戻しました。
愛があれば、金など必要ない。
「下にも幸せがある」と言ったのです。
これは深く感動を呼ぶことだと思います。
でもヒューゴは上を目指しました。
下は危険で怖く、上が安全だと思ったのです。
でも下にいる人はどうしても上に行くことはできません。
だから貧しい世界で幸せを見つけなければならないのです。
これが現代の世界とも共通する部分です。
この映画はそんな人々の悟りをことごとく裏切ります。
チレンは殺され、ヒューゴは死んでしまいます。
唯一両方の世界を知るイドだけが、本当の世界を知っているのです。
アリータは全ての悲しみを胸に上へ行く切符を手にします。
まとめ
うーん、どうしてでしょうか。
正直に良い映画だとは言えないのです。
勿体無い。
すごいのに勿体無いです。
納得できないのですね。
だから、この映画は観るべきなのかもしれません。